HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

曲名と曲想

先日、新曲の作曲をした指導者のもと練習を行いました。

前回の練習時、新曲の全容を初めて聞きましたがどうも曲名と曲想が合っていない印象を受けました。

居合わせた数人にその事を聞いてみると、自分もピンと来ていないという人がけっこういます。

曲名は公募して決まったようですが、私は長期休会していてその経緯がわかりませんが、

決め方もなんかしっくり来ていない様子。

せっかくの自分たちの新曲なのにこれでいいのだろうか?と思ってしまいます。

私が前回この曲を聴いたとき、かなり突っ込んで来る印象、息をつかせない流れのように感じました。

曲名はというと、明るいノリのいい、オシャレなイメージ、それに反して曲想は結構シビア・・・。

練習時にその事を聞いてみると、発案者は当然変えて欲しくないというし、

作曲者である指導者も名前自体は気に入っている、という事でした。(が、納得しているかどうかは別)

ま、いろいろ経緯はあったにせよ「名は体を表す」、という重要な事に目をつぶっていると思います。

曲の構想ををイメージしながら名前を考える、曲名ありきで作曲をする、というのが自然というか

当然とは思いますが、それにはこだわらない、というのもありとは思います。

でも皆で考え、皆で創って行こうとしようとしているのに、納得していない人が多く存在するのは

健全な姿ではないと思うなあ。

休会中に曲名公募のお知らせが来ていましたが、曲を聴いていないのに名前の提案なんて乱暴な事は

できるわけもなく、それからしばらくして名前が決まったという連絡を受け取りましたが

改めて曲を聴いてみると、違うんではないかい?と素直に感じます。

一旦決まった事をひっくり返すのはとてもタイヘンなのですが
(私は自分のためではなく人のためによかれと信じる事はあえてひっくり返して来ましたがそのために一部の人から恨みつらみは山ほどかっています)

関係者が顔をつぶさない解決方法と納得のいく曲名の再提案をしようと思っています。

今の時代、ならぬものはならぬのです、という姿勢ははやりませんが、大事な事だと思います。

太鼓は妥協したらなるものもならぬ(鳴るものも鳴らぬ)のです。