HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

記憶喪失

政治倫理審査会にて下村議員は資金は秘書が管理、自分は何も知らない。

 

清和会の事務総長だったが、会計にはまったく関与していない。

 

裏金作りの復活が、いつ、誰が、言い出したのか覚えていない、と。

 

今までジミントー裏金国会議員が弁明してきたものと変わりがあらしまへんがな。

 

自己弁護のための記憶喪失をしているのは見え見え、真相究明には程遠し。

 

黒怪疑員としか呼びようがない連中でんがな。

 

まったくどうしようもありまへん。

腐った政治は国民が変えるしかあれしまへんで。

 

醜態を 晒し続けるジミントー

       腐りし政治 改めるべし

                       一票法師

インチキ民主主義

ロシアの大統領選、インチキそのものでしょう。

 

対立候補は粛清して選挙を不透明化、秘密警察による選挙の透明化で反対票を監視して投票を抑制、反対票を排除してカタチばかりの選挙で自分の得票数を増やし、ほれこんなに支持されとりますがな、を見せつける作戦。

選挙行為で一見民主的に見せかけているけれど、その中身は国が統制する専制政治そのものでしょう。

自分達の親分のおかげで生活が豊かになったと、ロシア国内では評価されているとの事、他国を侵略しようが政敵を粛清しようが、自分たちの暮らしぶりがよけければそれでよいという事でしょう。

悪さをしても自分達の便宜をはかってくれるジミントーに投票するのと大差ないかと。

 

国を統制する上で国民に自由な発言をされては困る国はロシア以外にも。

かつての日本もそうでした。

満蒙開拓として他国の領土に入植を促し、教育によってその地の日本化を推し進めたり。

ロシアやイスラエルが今それを軍事力を使って力ずくでやっております。

 

かつてはロシアだったから、という理由でウクライナに侵攻し、占領下の子どもたち数万人を保護するという名目で拉致し、ロシアに送ってロシア化教育で洗脳する事をやっています。

将来、愛国の名のもとに躊躇なく突撃する兵隊化するのが狙いでしょう。

イスラム過激派が無垢な子供達を戦闘員に仕立てあげるのと変わりありません。

 

そういう「民主的」なプーチンロシアと果たして付き合っていけるのでしょうか。

 

人は愛国心という魑魅魍魎に躍らされる事がままあります。

 

愛国心という伝家の宝刀で自由な発言を封じ、為政者は愛国心という大義名分で人々を戦地に送ります。

プーチンロシアのインチキ民主主義の末路、どうなるのでしょう。

 

 

反断捨離

断捨離ということばは1976年にヨガの発想法として登場したらしいです。

 

断つ、捨てる、離れる、仏教思想にも通じるものがあるように思います。

そろそろ断捨離を考えるお年頃か、と思うようにもなりました。

 

確かにいくらものや知識を蓄えてもあの世には何も持って行けません。

 

そもそもあの世すら存在しないと思うし、死んだら骨以外な~んも残らないと考えてます。

霊魂があるなんてとんでもございません。

あの世があると思いたがるのは、死んで無になるのが怖いから、せめてあの世で存在し続けたいという切ない願望からかと思います。

 

ま、無には帰するのは無念と諦めて、凡人は人々の間に生きた記憶や記録が少しの間残るくらいかと。

自分達が存在するのは御先祖達が営々と命をつないでくれたおかげです。

ご先祖が残してくれたもの、家系図上の名前、遺影、多少の財産、あるいは借金、生きざま、家訓、etc。

 

断捨離は自分の為ではなく、遺された人の負担を軽くするために行うものかと思います。

断捨離しないと要はゴミ屋敷になりかねないと。

持ち主にとっては人生の詰まった宝物でも、他人にとってはゴミでしかないというケースも。

 

しかしながら人生を終わるにあたって、断捨離ではなく、反対にもっと悶えてみる、こだわってみる、やってみる、持ってみる、喰ってみる、飲んでみる、という欲張った邪悪な思考が頭をもたげてまいりました。

 

どうせ死ぬならその前にいろんな事を試しておこう、食っておこう、というあさましい亡者の思想です。

断捨離の境地とは正反対の執着続々の境地?

その方がゾクゾクしそう・・・。

 

とはいっても宇宙に行くとか深海に行くとか、財力にものを言わす事はかなわないので、ささやかな贅沢と言うか、手の届く範囲での話ではあります。

 

 

 

 

思い立ったが吉日

思い立ったが吉日、何かをしようと思ったらすぐにとりかかるのがよい、という諺。

 

昔は吉凶を占うという生活習慣があり、何かを行う時には日を選んでおりました。

 

平安時代陰陽道に従ってその日の行動を朝の占いによって決めていたとか。

また禁忌の日時があり、外出してはいけない日や時間もあったとか。

占いや迷信によって生活パターンが決められてしまい、思い立っても即行動に移せない時代がありました。

 

その因習が現代にも残っております。

今でも結婚式など祝い事は大安吉日を選び、葬式は友引の日は避けます。

 

思い立ったが吉日、なにかやろうと思ったら即実行。

 

これは物忘れが日常化する高齢者にとっては必須の行動かも知れません。

 

何かしようと思ったら即やらないと、あれ、自分は何しようとしてたんだっけ???という事がよく起こるようになります。

 

他の事をやるとると主目的を忘れてしまったり。

 

出かけようと靴下を取り出し、ソファの上に投げた時に宅配のピンポーン、インタフォンで対応して(相手が何言ってんだかよくわかりませんが)、玄関で荷物を受け取り、戻って荷を解くころには靴下の事をすっかり忘れています。

 

いよいよ出かける時間が迫り、そうそう靴下はかなくちゃ、と思い出すんですが、その靴下をどこに置いたかが思い出せない。

う~ん、靴下どこ行った、となるわけです。

 

思い立ったが吉日で、その場でやる、という事をしないと他事に紛れて忘れてしまう事が多くなります。

 

太鼓仲間でも休憩中に、私のバチはどこ?と探し回る人が。

何気なくその辺にバチを置いて、水分補給のためにバッグのところに移動、そこで世間話に花を咲かせていざ練習、となる時にバチを置いた場所、置いた行為が思い出せない。バチが消えてしまいます。

軽い認知症候群とでもいいましょうか、とにかくものがよくなくなります。

 

太鼓仲間では、そういうことは日常茶飯事、問題視せずにお年頃だから、と笑って済ます事にしています。

こればっかりは歳を取らないとわからない感覚、物忘れをなじっても解決するもんではありません。

若い人には理解不能の現象。

 

高齢者にとっては、思い立ったが吉日、ではなく、思い立ったら吉瞬、と瞬時に対応するのがよろしいようで。

 

 

 

必ず巡って来る大地震

南海トラフ地震や首都直下型地震、いつ来てもおかしくない状況に入っていると言われています。

 

13年前に日本を襲った東日本大震災、同じ規模のものが一千年前の貞観時代に起こっている事が記録に残されていたことがわかっています。

 

千年に一度、日本人はその周期の長さに、いつかまた来る大震災に警戒を怠っていたのではないでしょうか。

日本を襲う地震のメカニズムは大陸プレートの移動が起因との解明が進み、周期的に起こる事も常識となりました。

人間にとっては千年単位の周期は長過ぎ、

国も東電も千年に一度起こるか起こらない不確かなものに備える事を怠りました。

 

津波に呑み込まれた福島第一原発は全電源喪失、その後メルトダウンに至る世界最悪の事態に追い込まれましたが、

この大津波の規模は想定外ではなく、想定できていた高さです。

過去に同規模の津波が来ていましたから。

2011年に大地震が起き、大津波が来るという時期が想定外であったに過ぎません。

 

まさか、という油断と防災の金勘定が働いたのではないでしょうか。

福島原発事故は、目先のコストパフォーマンスを優先させた結果招いたものと思われます。

 

実は福島第二原発も同様に全電源喪失しており、危機的状況だった事はあまり知られていません。

 

福島第一原発はいまだに廃炉の道筋の目途も立っていません。

 

その間溜まり続けている汚染水は溜める限界値に近づき、処理を施して止むを得ず太平洋に放流。

今のところ物理的な被害は確認されていませんが、諸外国による風評被害は甚大でしょう。

 

能登の震災被害の復興もまだまだこれからという状態ですが、必ず来る大規模震災に日本全体で備えておく必要があると思います。

 

 

 

破廉恥

次から次へと出るわ出るわ。

またまたジミントーの批判をしなくちゃなりません。

 

ジミントー青年局和歌山県連主催の近畿ブロック会議後の懇親会の破廉恥ショー、参加の男どもが喜ぶと思っての女性ダンサーを呼ぶ企画を立てたんだろうけど、セクシーダンスショーは馬鹿男丸出し企画でしょう。

主催者の川畑県議の言いぐさが「多様性がテーマ」だと、言うに事欠いてそんなみっともない言い訳しかできんのかね。

ジミントー批判が本体に燃え広がる前にさっさと離党したけれど、それでも県議は続けるそう。

こういうアホに次はないんじゃないの。

 

ジミントーは次代を担う青年局女性局にロクな人材がいないのを露呈してますな。

女性局によるパリ浮かれ観光研修、青年局の破廉恥ダンスショー

公金は一切使っていないと言い張っているけれど、そんな事はないでしょうに。

公金が1円でも使われているのがバレたらそれこそ命取りになるので必死に覆い隠そうとしているんでしょうな。

こんな連中ばかりではジミントーに自浄能力が働くわけがありません。

 

一首献上

女性局 青年局の軽(かろ)きこと

      局部の恥なむ さらすとぞ思へ

                       さすがの局

現代語訳

女性局や青年局の連中の行動や思考のなんと軽い事か

人に見せられない恥部を晒け出しているのと同じ重い事と思いなさい。

安全の担保

埼玉の二子山登山で岩場で墜落事故を起こし、重傷を負った登山者が、岩場の管理者である町とクライミング協会に慰謝料の請求を求めて訴訟したとの事。

 

細かい状況や経緯は不明の為、軽はずみな事は言えませんが、登山に管理責任は問えないんじゃないかと。

鎖場の鎖設置や階段、登山道の整備は町がやったものだとしても、安全を担保する性格のものではないでしょう。

街中の公園の遊具の管理とはわけが違うし、命がかかる登山の安全担保はあくまでも登山者の自己責任だと思うのですが。

 

そうしないと落石の責任も管理者に問われる事になってしまいそうです。

 

状況が登山道の柵が腐っていて、寄りかかったら転落した、とかいう場合だと話は微妙になってくるかと。

 

しかしながら安全のため設置された柵の管理責任を問われるくらいなら、いっそのこと柵なんぞ設置しない方がよい、という事になりかねません。

 

管理下にある自然は管理者によってその安全が担保されるのか、これから裁判となるもようです。

 

軽装で富士山に登る連中や、熟年グループの無理な登山が多いようですが、登山はやはり自己責任が大原則ではないでしょうか。

 

ここで一首献上

山行や 高みに至る 責任は

     こだまの如く 吾に帰れり

                   詠み人知らず