HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

邪魔な男

スーパーの 邪魔な人影 シール待ち

 

スーパーに行った時、レジ近くの通路で立ちはだかっているオジサンが。

とっても邪魔なんですがその場から動こうとしません。

こちらは定番のコロッケを買いたいのにケースの前にしっかり陣取っちゃってます。

迷惑な男やなあ、と思っているとスーパーの人がかがんで何やら作業しています。

時間切れの総菜に値引きシールを貼りだしたんですね。

男はこれをじっと待っていたのか・・・。

新型コロナで変わる世界その4

目に見えぬ 脅威はそこに 来つつあり

人を運ぶ輸送業界、ウィルスも一緒に運んでしまうため自粛も含め利用者数は大幅ダウン、

鉄道航空業界は文字通り死活問題。

その他の業界も生き残りをかけ、業務縮小、雇止め、解雇者も増え、

ますます消費が落ち込むという悪循環が始まっていそうで、世界規模での不況が起こりつつあるかもです。

なんとも不気味。

 

人類が リセットされる 新コロナ

新型コロナは経済活動に致命的な打撃を与えつつあります。

今まで当たり前だった消費行動は見直しを迫られるところに来ているのかも。

 

今のとこ シーソーゲームの 感染数

緩めれば感染拡大、締めれば深刻な経済問題。

政府は様子を見ながら泥縄式の対応を迫られています。

go toなんちゃらは新型コロナ禍が収まってからの経済活性化対策なのに、

背に腹は代えられないと、とにもかくにもgoを出しちゃいました。

にわか制度の穴を狙って税金ドロボーも横行しています。

不正受給が発覚した際はとんでもない重罪が課されるとかして

軽い気持ちでの犯罪に走る抑止効果を狙うべきではとも思います。

やるならそれなりに覚悟せえよ、という啓蒙があってもよろしいのではないかと。

新型コロナのトンネルの先に光はあるのか・・・。

新型コロナで変わる世界その3

規格外 捨てる世の中 捨てなはれ

水産物に限らず、この世には生産されるものに規格外と言うものが発生します。

規格外は市場価値がないものとされ廃棄処分にされるのが普通です。

曲がったきうり、割れたトマト、二本足の大根、アザのあるリンゴ・・・。

小ぶりな魚、深海魚、足が欠けたタコ・・・。

お菓子の一部などはワケアリ商品として割安で売られるケースも無きにしもあらずですが、その殆どは商品価値のないものとされ廃棄されます。

この概念はオソロシイ事に人の世界にも適用され、ナチスの人類浄化思想や、日本でもハンセン病患者への不妊手術・隔離、最近起こった障害者大量殺傷事件は記憶に新しいところです。

 

規格は人が決めた事、規格からはずれるものは商品価値がないものとされてしまいます。

商品の規格基準はおもにサイズや形、重さが揃う事、中身ではなく見た目がいい事。

 

この規格設定の大きな要因は、効率と消費者の意識にあるものと思われます。

不揃いなものは見た目の印象が悪いし、箱詰めがしにくい、重さを揃えにくい。

スーパーに並ぶときに、スーパーモデルのような顔立ちの商品に消費者は惹かれるというわけですね。

粒がそろっている方が不均等にならない、見栄えするというメリットはあります。

スーパーマーケットが出現する以前は消費者は買い物かごを携えてgo to商店街の日常、そこでは各商店での量り売りが基本、新聞紙に包んでもらいそれで特に問題はありませんでした。商店主とのミニ会話は商品知識や調理法などの情報を得る機会があるし、「非効率のよさ」は充分にありかと。

現代はスーパーマーケット等の「効率重視」の流通システムに消費者が飼い慣らされたという事でしょうか。

 

 

農産物に関しては無農薬有機農法の農家のサポーターが組織され、生産された農産物は見た目や量の多少にかかわらず定額ですべて買い取る、というおいしく食べられるものをゴミにしないというシステムも生まれています。

水産物に関しても、市場価値のない今まで捨てられていた魚を買い取り、手間暇かけて命を味わえる貴重な食材に仕上げている仲卸の魚屋さんがテレビで紹介されていました。

 

今新型コロナウィルスは、効率のみを追い続けてきた人類にその価値を問いかけているように思えてなりません。消費者生産者の価値観の転換、この新型コロナがもたらしてくれる可能性はあるのかなと思います。

 

新型コロナで変わる世界その2

つぎはぎを 恥に思わぬ 世界観

新型コロナ禍で世の中の意識・価値観が変わりつつあるように感じます。

一体全体ものの価値とは?

 

子供の頃はつぎが当たっている服を着ているのは当たり前でしたが、

いつの頃からかつぎの当たっている服は恥ずかしい、という社会になりました。

物質的に豊かになり、その分人々の意識の許容性が狭まり、精神的に貧しくなったのではないのかと。つぎを当てて大事に着る、ものを大切に使うというのがみすぼらしいと映る世界、さてどうなんでしょう。

 

持つ事を 理想としない 社会へと

若者の車離れが加速しているとか。

車を「所有する意識」自体にブレーキがかかっているのやも。

かつては車がステータスになっていましたが、車を持つ事に価値を見出さない若者たち。その理由の一つに経済的にきつい、というのがあるようです。

それだけではなく、価値観が多様化し、車を所有している事が単純に「各付け」にはならないという事もあるようです。

 

モノを持つ よりもココロの 持ちようか

 

新型コロナで変わる世界その1

日本人 お互いさまの マスクかな

マスクは当初はウィルスはスカスカに通すので感染防止にはあまり役に立たないと言われていました。最近はものによってはウィルスを拡散させない、吸い込まない効果がある事が判明。これはいかにも日本人らしい思いやりの精神の表れと言えるのかもです。

 

欧米は 裏目に出たか 個人主義

それに引き換え、マスクをしない自由を標榜した欧米各国ではとんでもない事になってしまいました。冬になると皆がマスクをしていた異様ともいえる日本の光景、最近の世界のニュース映像にはマスク姿が当たり前のようになりました。

 

マスクせぬ 政府の表情 見えて来ぬ 

マスクをしていると表情がわかりません。

相も変わらずの何の説明もない政府、それはマスクじゃなくて仮面か?!

今後の演奏会の行方

新型コロナワクチン開発が急ピッチで進められています。

ワクチンが開発されると生活は元に戻るのでしょうか?

ワクチン自体安全性を確認するまで数年かかるところを「特別扱い」で今年中にも認可が下ろされるようです。

ワクチンが開発されてもウィルスが変異する可能性もあるし、今後のことは明解な予想は困難と言える状況かと。

 

和太鼓の演奏会やイベントなどの中止、延期の声もあちこちで耳にします。

演劇などと同じで、集客してなんぼ、という性格なのでその在り方はムズカシイものがあります。

これから太鼓そのものの存在意義が問われる可能性も出て来るかも知れません。

 

 

身近な交通事故

当たり前 交通事故が 起こるのは

 

街を車で走行中、いつ交通事故に出逢っても不思議ではないと思うようになりました。

まあ、移動中の物体はそれだけでどこかにぶつかる可能性が高いという事。

 

調べてみるに一日に起こる交通事故件数は1500~1600件、これでもだいぶ減ったんだとか。

一方交通事故による死者数は年間3000人を下回るようになったそうです。

 

自ら交通事故を起こしもしたし、事故を目の当たりにする事もありました。

事故は偶然の産物であると思ってます。

家を出るのが5分遅れていたら事故に巻き込まれていたかも知れないし、信号待ちに引っかからず先に進んでいたら一時停止を怠った車とぶつかっていたかも知れない。

5秒のズレで横道から飛び出した自転車と接触していたかも・・・。

そんな事があちこちで一日に1500件も起こっているわけですからいつ自分が当事者になってもおかしくないと思うわけです。

 

運転経験が長いとそれだけヒヤッとした瞬間も多く、特に右折左折の時には自転車やバイクが来ていないか慎重になります。

ウィンカーを出さずに右左折する車、左折するときに右に膨らむ車、どこでも急に停まるタクシー、横柄運転の代表格の大型外車、猛スピードで車の間を縫って走り去るバイク、信号無視が当たり前の無法者の自転車等々事故の要因が街中を行き交ってます。

 

こちらが慎重になっていても事故は向こうからやっても来るので、さてどうしたものか・・・。