HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

音を出す事と音を伝える事の違い

太鼓は打てば音が出るもんだ。
誰がどんな打ち方をしても音が出る。
しかし打てば響く、というようになるにはそれ相応の時間が必要なようだ。

 
最近気になるのはただ打っているんじゃないの?という太鼓。
太鼓を始めて年月が浅い人は当然の事ながらこういうタイプの人が多い。
太鼓は打てば音が出てしまうゆえ、ややもするとそのまま時が経ってしまうという可能性も大なのである。
いわゆる我流で音を出しているというやつでしょうか。
これが体に染みついちゃうと矯正する時にえらく苦労したりします。

 
太鼓はああ見えて(?)立派な楽器なわけで、音を出すもの、
ではなく音を伝えるものと考える必要があるように思う。

 
笛などはまともな音を出せるようになるまでに相当な練習を必要とする。
音が出るようになったらやっと音楽のニュアンスを伝える修練を積み重ねる事が許される。
ピアノはどうだろう。
初めての人でも鍵盤をたたけば誰でも音が出せるが、音楽を奏でるのはそれなりに練習が必要となる。
太鼓もまったく同じだと思うわけです。
太鼓には太鼓の音をきちんと伝えるべく打ち方があるのではないだろか。

 
先日、自分たちのとある演奏会のビデオを見直してみた。
太鼓を始めて間もない人は自分の胸の前だけで太鼓を打っていたりする。
これは実際にも見た目にも音が伝わって来ないのだ。
打ち込む姿、打ちきる姿、手のしなり、躍動感、静止する一瞬の余裕、力の流れ逃がし方、
やはりそれなりの打ち手にどうしても目が行ってしまう。

 
少なくとも演奏会で演奏する以上、自分がステージ上のダンサーになったつもりで観客に何かを伝えようとする努力や工夫を怠るべきではないのだろう。

 
自戒の念も含めて太鼓は音を伝えるものと心得るべし。