HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

鼓論:太鼓のいろは「つ」

太鼓のいろはの「つ」は「つまる」演奏を!です。

この鼓論は筆者のヒネクレ度を反映してか、逆説的な表現が多いようです(笑)。

これは読者の興味を引くというテクニックのひとつと思っています。

え~っ、つまる演奏って何???と興味を引く事が大事なんじゃないかと考えている次第。


つまり「つまる」というのは「つまらない」という意味の逆で、つまる=つまらなくないという事。


何度か書いていますが太鼓の曲は、実は演者が思っている程かわりばえのしない場合も多いのです。

太鼓演奏を初めて見聞きする人は、最初の頃は物珍しさで興味を引かれますがそのうち

どの曲も同じ様に聞こえてしまい、飽きちゃうわけです。

これはメロディーのない太鼓の宿命かも知れません。

でもメロディー楽器の篠笛などが入っている曲でも同じ事が言え、ムズカシイものです。


そこで「つまる」=「つまらくない」演奏が大事になってくる、というわけです。

このつまらなくない、というのはいくつかの心理的要素が働くようです。

その一つは期待感。次はどんな音が出て来るんだろうか、次は・・・という期待感。

この「次は何?」という期待感は、飽きていない証拠で興味が持続しているという事。

どこかで聴いた事のあるフレーズの繰り返しはどうしても飽きちゃうようです。

そこで求められるのが変化です。

同じ繰り返しでも変化の要素が入れば、観客はいい意味で裏切られて、飽きがリセットされます。

変化は、打ち方もあるでしょうし、テンポや変拍子、音の大小や編成人数、楽器の種類等様々です。

一曲の中での変化、曲毎の変化、変化は多種多義にわたります。

しかし変化ばかりしていてはまた飽きられちゃうという矛盾も。


そこで老舗の味の様に、何代も守られてきたというような安定性も必要です。
(実はこの味も変化=進化しているんですけど)

また聴いてみたい、また観たい、という感動と、また聴けた、やっぱりいい!という感動、

これこそがとどのつまり「つまる」演奏の真骨頂なのかも知れません。

つまる演奏を目指したいものです。(本当につまってはいけません・・・)