何に付けても指導というものはムズカシイものです。
太鼓の指導って、何を指導できればよいのでしょう。
打ち方、構え、その構えの中でも太鼓に対する心構えが一番肝心なのやも。
技術的なことを指導できるためには本人に実力がないとなりません。
教えられる側に「できもしないのに、」という気持ちが芽生えてはそれ以上は進めません。
指導者は実践に裏付けされた実力の持ち主、という事は必須条件と言えるでしょう。
心のフォローができて初めて優れた指導者と言えるのではないでしょうか。
これは太鼓に限った事ではないようにも思います。
誰に対してもいい点を見つけて評価をする事で、自信を持たせる。
ダメなところに目をつぶってでも、いいところを伸ばす方に力点を置く。
いいところが伸びて行く事でダメな点に自分で気付いてもらうように仕向ける。
そういうところが優れた指導者と優れたプレイヤーとの違い・・・。
人には拙い点があって当たり前、見方や好みによって評価も異なってくるもの。
本人が挫折を味わっている程、温かい目で人を見ることができるようです。
自分の尺度に合わせて人を評価するのは小人のやること、
いつかは底が割れてしまうでしょう。
太鼓と職人の世界は似て非なるもの。
職人の親方は厳しく指導します。技術の質に妥協はないからでしょう。
妥協した途端に進歩はそこで止まってしまう。
職人の世界に完成はなく、一生修行とも言われます。
これは太鼓にいそしんでいる人達はとても近似的と言えるかも知れません。
でも指導者は職人の親方とは何かが違うような気がしてなりません。
何かとは何か、それを知るためにこそ一生修行???