和太鼓の指導に求められるもの、大上段に構えてしまいましたが、さて、この問題どうやって矛(ほこ)を納めましょうか・・・。
矛とは剣のこと、矛盾の矛です。
矛盾の盾は防御の盾です。
この矛盾、中国の逸話でこんな内容だったと記憶しています。
ある時武器商人が市場で武器を売っていた。
うたい文句は、この矛は世界に一つ、どんなものでも突き破る事ができる優れものだよ、この矛があれば勝利は間違いなし。そしてこちらの盾はどんなに鋭い槍や矢でも突き通す事ができないスゴイ盾だよ、これを持って戦に行けば怖いものなしと。
その口上を聞いていた一人が、そんなにスゴイのならその矛でその盾を突いたら一体どうなるんだ?
これには商人は答えに窮したというお話。
理屈が通らない事を矛盾する、という言われだそうな。
現国会の質疑応答は矛盾だらけ、まともな攻防は見られません。
さて、話が脱線しましたが、和太鼓の指導に求められるものは?
太鼓は楽しく打つものですが、指導者は太鼓を楽しく打たせることができる人、ではないかと思います。
よきプレーヤーが必ずしもよき指導者になれるとは限らない、とよく言われます。
プレーヤーは自己の中で完結しますが、指導者はそうは行かず、相手に成長してもらう指導の技術が必要になるかと。
最近経験したのですが、やる気をくじかない、自らやる気を起こさせるきっかけを作る、背中を押す、という事がとても重要なのではないかと。どれも「気」、精神的なものが絶対的に重要。
病は気から、という言葉がありますが、気持ちで生死がわかれちゃうというシーンもありますよね。
心のケア、どんなシーンでも必要かと思います。
そんな事から指導は心のケアではないかと考えるようになりました。
健全な心は健康な肉体に宿る、
でも健康でも心は不健全という事もあるし、病気をしていても心は健全という場合もあるし、いやはや世の中矛盾だらけかも・・・。