HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

太鼓:練習訓

我ながらの太鼓訓

太鼓のた 楽しくなければ太鼓じゃない

太鼓のい 一生懸命 打てば心に響きます

太鼓のこ これでもか 本気で練習花が咲く 


うちらの団体、と言っても練習に来るのは6~7人、総勢10人足らずになってしまいました。

かつては30人近くいましたが、若い人たちが抜け、仕事や家庭の事情で抜け、

衰退の一途をたどっています。

考えてみるに、太鼓を極めたいという集団ではなく太鼓の市民講座から発生したものなので

どちらかというと健康太鼓のような気分が基本に流れているような。

ガンガン打ちたい意欲のある若い人たちは見切りをつけて一人去り二人去り・・・。

残った人たちは中高年、皆さん人生経験長いので、太鼓の腕に関係なく文句だけは多い。

そんな雰囲気に嫌気がさして一人去り二人去り・・・。

集団特有のいがみ合い、陰での中傷合戦の末一人去り二人去り・・・。

中高年は体の不調、親の介護などで太鼓を打っている場合ではない、という人も増え

二人去り三人去り・・・。

という事で残っている人は10人足らず。

幸い、今迄の会費の積立金があるので活動ができています。


そんな中、先日の夏祭りの演奏が終わり、目標の「神楽」と「歓喜」の「初演」も果たし

以降秋迄演奏会がないので基礎打ちに力を入れるようにし始めました。


指導者がいない時は基礎打ちの面倒を見ていますが、

以前に比べるとこの集団に過度の期待をしないようになりました。

なぜならば太鼓に対する意欲がまったく違うから。

太鼓にのめり込んでいると思われる人は一人くらいしかいず、後は普通の人たち。

積極的に家で練習したり、太鼓の情報を収集するとか、プロその他の演奏を観に行く人も

殆どいません。

そこで思ったのが先に掲げた太鼓訓。


太鼓のた 楽しくなければ太鼓じゃない

真剣そうに基礎打ちをやっても楽しくはないのでやるなら楽しくできないものか。

太鼓を打つ根源的な楽しさはリズムにノル事ではないのだろうか。

体でリズムにノル事が気持ちもノル事に繋がらないだろうか。

こんな事から同じ基礎打ちでも体で拍子をとりながら打つ基礎打ちにトライしています。


太鼓のい 一生懸命 打てば心に響きます

ヘタでも間違っても一生懸命打ち込んでいる姿に人は感動します。

これは太鼓に限らずそうだと思います。

演奏前にざわついている気持ちを払拭するため深呼吸をして精神を集中させる。

自分が太鼓を打っている時間くらいはせめて一生懸命やりたい。

日常生活でそんな時間なかなか持てないですから。


太鼓のこ これでもか 本気で練習花が咲く

太鼓はしつこく練習して体に覚えさせるしかありません。

自転車に乗れるようになるのと一緒で、いくら頭で考えてもうまくなりません。

無意識で体が反応するくらいまで練習、

その練習も自分がやる気を持たないと時間の無駄になってしまいます。

やる時は本気で。


こんな意識をを皆に持ってもらう事が今の目標でしょうか。

実はこれは公認指導員の中高年太鼓の指導についてのノウハウ収集も兼ねていたりします。