壁に耳あり障子に目あり、という諺があります。
昔の日本の家屋は壁も薄く、障子も人差し指をなめて覗き穴を容易に開ける事が出来たので
誰がどこで話を聞いているかわからない、という戒めだと思います。
インターネットの時代、それを実感する出来事に遭遇しました。
facebookで友達申請が来ていて、太鼓をやっている、知っている苗字、成田太鼓祭りにも来ている、
という事で友達承認をしましたが、その後下の名前が違うので勘違いという事がわかりました。
お互い知らないのに友達になっちゃった、という事になりますね〜。
当方facebookは登録してますが積極的に参加していません。
たまたま、その人がアップしている成田太鼓祭りの記事を目にしました。
それによると、某太鼓団体の演奏を観ていると、同業人と思われる二人が声高にその団体の批評を
していたそうです。(ひょっとして自分の事かも???)と思い、読み進めてみました。
演奏終えて一杯飲みたい、とか、ちょっと我慢するとかいったその団体のMCのマズさに言及していて、
そういう個人的なMCはアカンやろ、という内容でした。
このMCをしていたのは知り合いの団体で、あーあの時のと心当たりがあります。
その場に当方も二人で居合わせたので、ありゃあ、まずいなと思ったものでした。
でも、その批評に対し、本人が面と向かって注意したと書いてあったので
ここで別人という事がわかりほっとしました。
ステージは2回あったので違うシーンでだったのか・・・。
確かに太鼓演奏を観ながらあーでもないこーでもない、と批判じみた話をしているのが
そばにいるその団体の関係者が耳にしたらいい気持ちはしないでしょう。
壁こそありませんが空に耳ありで、話をしている当人たちはその内容が周囲に筒抜けになっている
という意識は薄いように思います。
以前、松本城太鼓祭りでもこの団体の演奏を観に行った指導員仲間二人が
一人ばかりが目立つ!と批判的な事を話しているのをたまたま前に座っていた指導員が耳にして
話の内容に気分が悪くなった、という話を聞いた事があります。
それでも冷静に考えてみると、拙いと感じるところは意外と観客も一様に同じ場合もあるわけで
それを本人たちに伝えてあげる事がレベルアップにもつながるのではと考えると複雑です。
気分を害さずにうまく伝える方法があればよいのですが・・・ムズカシイ問題です。