神楽の演奏について反省会を行った時、親役(演奏のリーダー)とその他の打ち手との間に
意見の相違がありました。
神楽は創作曲と違い、基本的にフレーズを繰り返す回数が決まっているわけではなく、
親が掛声をかけると次のフレーズに移るという構成の曲になっています。
親が掛声をかけなければ皆でずっと同じフレーズを繰り返す事になります。
神楽はまずはそういう曲なんだという事を皆で認識する必要があるでしょう。
途中調子が変わりおかめひょっとこの踊りが入るところがあるのですが
今回問題になったのは、客席に出張った踊り手の戻りが練習していた6回より遅くなり、
そのため親の太鼓と子の太鼓がちぐはぐになってしまったというもの。
練習では、踊りのところは6回をめやすに切り替えていました。
親役は練習では6回と決めていたので、踊り手が戻って来ないけれど自分は練習通り6回で
切り替えた、それで練習して来たではないかと。
踊り手はそもそも回数は決まっていないのだから、観客にちょっかいを出したりしたので
戻りが遅くなったが、それは親が様子を判断して戻ってから切り替えるべき、と。
自分は間違っていない、自分が正しい、と主張しあって譲りません。
こういうのは太鼓では絶望的な展開で、お互いを信頼していない事になります。
親は状況判断をしつつ演奏をまとめる責任があるし、子は親とコミュニケーションをとりながら
お互いを思いやりながら演奏を一つにまとめて行かないと太鼓になりません。
練習では回数の目安を決めていますが、4回が5回になったり6回になったりするのは当たり前、
親役はそれを見越してわざと3回で切り替えたり、10回繰り返したりの練習はしておくべきかと。
その場の雰囲気で繰り返す回数を親が判断し、子はその意図を感じ取る、
くらいにならないと本当の楽しい演奏はできないものと思います。
神楽は古典的なお囃子の部類に入るため、創作曲のように規則的な枠に入らないのが
最大の特徴、回数で演奏するスタイルは捨てるべきと思います。