先日、練習の後、指導者とライブの話をしながら駅まで帰りました。
そのライブは指導者が主催したもので、感想を求められました。
オープニングで舞台の構造上、舞台に座っている演者が見えなかった事、
ダンスと太鼓の組み合わせは新鮮だったこと、などを伝えました。
指導者曰く、第一部と第二部の構成の対比は来場者にわかりづらかったかもと。
一部は舞台活動を一緒にしている人たちとのミュージカルのようなカラーが強く、
二部は太鼓がメインに構成されていました。
この辺の違いが事前の告知不足だったきらいはあるかもです。
私はあちこちのライブを観ているので、太鼓とコラボの舞台も違和感はありませんが
太鼓を習っている生徒さんにしてみれば、太鼓と色が薄い舞台は面喰らっちゃったかも知れません。
三味線の音が聞こえづらかったというのは他からも指摘されたそうです。
最後に、全体の感想を求められたので、感じた事を素直に伝えました。
ライブからのメッセージがもっとストレートに伝わってもいいのではないか、という感想です。
舞台からのメッセージ、逆に言うとメッセージを伝えるために舞台がある、と思う次第です。
この話をしている時に、指導者は何かを発見したようで、自分の師匠が何を伝えたいのかがわかった、
と言っていました。
自己表現、もしくは自己実現、そのための一つの方法が太鼓であるように思います。
最近、車を運転していると、ウィンカーを出さずに曲がったり、発進したりする車を見かけます。
これってとてもアブナイんですが、要は曲がるとか、停まるとか、はっきり伝わらないわけです。
曲がりたいのか停まりたいのか、一体どうしたいのかが伝わって来ません。
演奏も同じで、何を伝えたいのかが見えて来ないのはノーモアとなってしまいます。
右に行きたいのか左に行きたいのかがわからない運転(演奏)は不安でもあり不満でもあります。