HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

鼓論:太鼓の「を」

鼓論「を」です。

今回は「何を」の「を」。

自然界はそういう事もないのですが、人の世には理由という物がある場合が殆どのように思えます。

太鼓を打つ場合、太鼓を打つのが楽しい、という究極の理由があるものですが、その場合、

「何を」打つ?という「を」が太鼓の出来を大きく左右するのではないかと思います。

太鼓も音楽である以上、何かを表現したいはず、太鼓の曲も作曲者の意図があるのでは?

伝統太鼓にはこれは当てはまらないと思いますが、創作和太鼓には絶対あると思う訳です。

曲名の由来、作曲者の意図、何「を」伝えたいのか?

演奏する場合、この「を」はとても重要になってきます。

この「を」を理解していないと、単に機械的に音を出しているだけになりかねません。

聞こえてくる音は同じかも知れませんが、演奏者の熱が伝わりきれないのではないかと。

気持ちというのは不思議な物で、何か「を」伝えたいという意志は相手にも伝わるもの。

この何かをの「を」を感じているかどうかはとっても重要に思います。

表現の原点かも知れません。