これを太鼓に例えると、両輪は「技術」と「気持ち」になるのでしょうか。
気持ちを表すためにはそれを表現できる技術が必要、
また技術にたけていても表現しようとする気持ちがないと見ている人にはよさが伝わりません。
和太鼓は特に打ち手の熱い気持ちが魅力の楽器です。
しばしばプロの超絶技巧に驚きはするけれど感動しないケースがあったりします。
逆に技術は未熟ながら気持ちが伝わって来て思わずうるうるしてしまう心身障害者の太鼓も。
この「気持ち」と「技術」は太鼓に欠かせない両輪かも知れません。
ところで、車の両輪でも横なのか縦なのか、どっちでしょう?
荷車のように左右に車輪があるもの、自転車のように前後に車輪があるもの、二通りありそうです。
前者は片方がないとどうしようもできません。
後者も自転車などでは前に推し進める駆動輪の後輪と舵取りをする前輪と両輪が必要。
ひたすら気力でペダルを踏みチカラを伝える後輪、華麗なハンドルさばきで方向を決める前輪。
やはり気力と技術の両輪と言えるのかも知れません。
だけど一輪車もあるので片方だけでもだいじょぶ!?
さて、もっと思考を進めちゃいます。
太鼓は実は車の両輪ではなく、どれか一輪が欠けても成り立たない三輪じゃないのかと。
昔はオート三輪というものが街中を走っていましたが、車輪は三つ。
太鼓でいうと「心」「技」「体」の三つがこれにあたるのではないかと思う次第です。
心技体は気持ちと技術と姿。または気力と技術力と体力。
太鼓は拍子をとる事がイノチですがこの三拍子揃ってはじめて太鼓らしくなるのではと。
最後に太鼓の輪も必要・・・。