何をより なぜを問うのが より大事
何を、誰が話したかの重要性を述べて来ましたが今回は「なぜ」?
何を話したか、よりも何故その話をしたかを考える事、とっても大事と思います。
人の行動には大概理由があり、その理由を知る事でその人本人の意思が確認できるのではと。
以前、メールでのやりとりについて記事にしましたが
メールでのトラブルはこの「なぜ」こういう事を書いたんだろう?という視点が無い時に発生します。
なぜ?を問う事で、その人がやりたい事が見えて来たりするわけです。
なぜ?を問う事は思いやりにも通ずると思っています。
「何を」ばかりに目が向いているとその裏に隠されている気持ちや心を察する事ができません。
私はシロウトながら太鼓を教える機会が増えましたが
「何かを」やる時には常に「なぜ」を一緒に伝える事にしています。
ここは思い切り強く打ちましょう!だけでも目的は達するのですが
なぜならばここがこの曲の一番のハイライトだから、という「わけ」を付け加えます。
教えられる側に立ってみると、指導者から強く打て、と言われたから強く打つ、
で事足りるわけですが、そこに「なぜ?」を入れると
ああ、作曲者の意図はこうだからなんだな!という事がわかり真意が伝わると思うのです。
なぜこの人はこういうこと言っているんだろう?と考える事、とっても大事と思う訳です。