HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

太鼓:本番練習

いよいよ神社奉納演奏まで残すところ後3回の練習とあいなりました。

基礎打ちはそこそこに本番練習、決まった配置配役で太鼓の移動を含め一通り流してみます。

太鼓移動の途中に前回と同じ笛の四重奏で「もみじ」を入れる事にしました。

前回は太鼓演奏の直後に吹くはめになり、息があがって音が出せませんでした。

完全に本番練習をやらなかったしっぺ返しをくらった格好です。

笛を組み入れる際はその辺も十分考慮する必要があるという経験を得ました。

今回はそのために曲順を入れ替えてもらいました。

私は全曲前打ちで、宮太鼓を打ちっぱなし、どこかでリズム隊に入れれば一息つけるのですが

今回の配置ではそれがありません。

曲は飛龍三段返し(御諏訪太鼓)、虚空(深高)、勇み駒とんばね(御諏訪)、ぶちあわせ、

そして最後に祭り(オリジナル)、どれも最前列で打ちまくります。


ぶちあわせは一応伝統曲に分類されますが作者不詳という事でかなりアレンジされています。

通常三人一組で太鼓を打ちながら交代して行く打ち方がぶちあわせの見せ所なんですが

我々高齢者太鼓では体力も迫力もないためその部分は割愛、静止したまま打つ仕様に変更されています。


打ち出しはかなりゆっくりめに始まりますが、宮太鼓がいきなり走り出しちゃいます。

下拍子は締め一本のみで、音はよく聴こえているのにも拘らず走っちゃう。

挙げ句の果てに自分たちが走ったら地打ちはそれに合わせろと。

本番では確かにそうなんですが、それは走っている宮太鼓に責任があるわけで

日頃から下拍子に合わせるように練習しているわけだから下拍子の方に合わせるのがスジです。

そのために基礎打ちの時にテンポを体に入れて打つ練習をしているわけで、何のために基礎打ちを

地道にやっているのか・・・。

演奏が噛み合ないのをとかく人のせいにしあうのは関心しません。


お互いを信頼して、ミスが生じてもそれをカバーしあおうという気持ちがなければいい演奏にならない、

正直その辺が足りていないなあと感じます。


基礎打ちの時に何回も言っていることば、「勝手に打たない」、この辺が本当に浸透しないと

つじつま合わせの演奏にしかならないような気がしています。


自己責任とわがままは似て非なるもの、とにかくいい演奏をしたいものであります。