数学の世界では正解は一つ、というのが当たり前のようです。
子供の算数の例でも、みかんが10個ありました。お父さんとお母さん、私が一個ずつ食べました。みかんはいくつ残っているでしょう?
10-3=7、7個が正解。
ところが、人間の世界では忖度という言葉が流行ったようにどうにも割り切れないものが存在します。
みかんが10個あります。お父さんとお母さんと私でみかんを食べ、6個残りました。それぞれいくつ食べたのでしょう?
10-6=4、4個を3人で分けての食べ方が正解となりますが、誰かの自白なくしては正解がいくつもある事に。
全員の爪にみかんをむいた痕跡がある場合は
①父:2個、母1個、私1個
②父:1個、母2個、私1個
③父:1個、母1個、私2個
の3通り。
誰かが食べていないという事になれば答えの候補は9通り。
3人のうち誰かが、みかんを食べたかは私の記憶の中ではございません、
と国会での答弁のような煙に巻く常套句を発すれば真実は闇の中となります。
桜を見る会にまつわる政府与党の不可解な答弁を見ききするにつけ、真実を闇に葬るという姿勢がありありとみてとれます。
これはみかんを一皮むいたら中身が腐っているという事なんでしょうねえ。
むなしい形骸化・・・。