人は月 お日様のごと あるべきか
人は角が立っているより丸い方がよろし。
そこで人を天体に見立ててみると、例えば月。
月は満ち欠けがあり、いろいろな表情を見せてくれます。
これって人の感情の起伏に似て、いい時(満月)もあれば
落ち込んじゃう時(新月)もある。
そんなもんで、いつも満月のように完璧な人はないと。
じゃあ、太陽は?
太陽のような人、という形容があるようにすべてを暖かく照らし、
明るくて陰の無い人を言いますね。
でも、太陽系に太陽は1個しかないようにそういう素敵な人は滅多にいません。
まあ、希有な存在といってもよいかも知れません。
そんな太陽だって、ほんとのところは怒り狂っているようなもので
有害な宇宙線をあたりにまき散らしていたりするものです。
それでは緑溢れる水の惑星、地球みたいな人は?
まあ、地球をよく知っている人はこれが人の理想型とは言い難いでしょうねえ。
でも宇宙的に眺めてみれば、穏やかで素敵な存在です。
そんな地球に暮らす人というイキモノはとても複雑で
昼夜の別があるように、明るかったり暗かったり。
穏やかな時もあれば理由も無く荒れ狂ったり。
地球に夜があるように、人のココロにも暗い影の部分が必ずあるもの。
丸いもの=球体には必ず影も半分存在します。
人は明るい面ばかり見たがりますが、実は半分は暗がりなんですね。
でもそういう事なんだと認めて付き合う事が肝要。
闇がすべて悪というわけではなく、
夜にならないと美しい星空は見えないわけですし、
明るい昼間では流れ星は決して見ることはできません。
人は往々にして見えないとその存在も否定しがちです。
昼間に流れ星は飛んでいる事は容易に想像できますがそれが見えないため
昼間には流れ星は飛んでいない、と思い込んじゃう。
これは昼間という一方的な立場でしかものを見ていないという事なんでしょうね。
夜という立場を思いやる事ができないとそうなりがちです。
相手の立場になってものを考えてみる、改めて大事な事だと思います。
人の世は 昼間ばかりじゃ 疲れちゃう
時にはそっと 闇の世界へ