先日の八丈太鼓の発表会の時、三宅の講習を一緒に受けた人と三宅の話をしました。
その人は三宅島が噴火する前に三宅島芸能同志会の津村さんの民宿に泊まった事があり、
その時に太鼓を教えてもらったそうです。
今の芸能同志会は津村親子4人、東京を本拠地にやっていますが、
島にいる時は同志会のメンバーは多々いたようです。
当時はフレーズこそ変わらないものの、左手のみで連打をしたり打ち方もかなり自由だったとか。
また、同志会の11231123112交代という打ち方は
島でもそう打っていたという事を初めて知りました。
今、島のお祭りで打たれている三宅島芸能保存会のは1123123112312交代と、
同志会の津村さんが一般の受講者にもわかりやすいように編纂したものと思っていましたが、
そうではなく、島のお祭りでも今のスタイルで打っていたというのは初めて知りました。
しかし、こういうのは地元でもよくある事で、人によって地区によって打ち方が違っていたりします。
今では同志会は独自の道を歩んでいるので、津村流の打ち方で指導されており
良い悪いは別にして画一化の方向に向かっているようです。
そんな背景を知りながら、三宅の太鼓を打つ事は重要だと考えています。