最近太鼓の稽古をするたびに自分の打ち姿がとても気になります。
舞台に立つ以上は自分が鑑賞される立場になるわけですから鑑賞に耐える姿を見せなくては。
三宅太鼓などは特にそう思います。
三宅島芸能同志会の津村代表は、一旦演奏が始まればいかに聴衆を自分に惹きつけるかを考えなさいと。
複数人数で演奏していても実際音が出ている太鼓に注意が行くし、格好よく打ち込んでいる人に目が行きます。
その中でも気迫で打ち込んでいる太鼓には惚れ惚れしてしまいます。
気迫=心
音=技
姿=体
が揃ってやっと魅せる太鼓が打てるのだと思います。
また組み太鼓でも打ちに行く気迫が出ている太鼓は知らず知らずのうちに引込まれますし、〈心〉
音を表現するための技術のレベルもたゆまぬ練習の成果として表れるとすごいなあと感動します。〈技〉
全員が気持ちよく揃っている美しさ、バチ先まで神経が行き届いているカタチも伝わってくるものがあります。〈体〉
心・技・体を軸にして自分で納得の行く太鼓を打ちたいものであります。