HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

スリランカDE太鼓二日目

二日目はコロンボにおいて日本人会盆踊りのお手伝いです。

当初はオープニングの景気付けに10分程打ち上げるのと、盆太鼓の助っ人という予定でした。

会場に4時頃到着し、太鼓の搬入を始めた頃、担当の方から入り口近辺で迎え太鼓を打ってもらえない

かとの相談を受けました。

断る理由もないので快諾しましたが、さて、何をやろうかと。

指導員チームであれこれ考え、合わせの練習をしましたが、そこは混成テームの悲しさ、

なかなか歩調が合いません。

そこへシンシア(女性三人組)が来て、お祭りで御神輿を送り出す太鼓があるというではありませんか。

ここは混成部隊の強みが発揮され、簡単なフレーズを皆で打つ事ができました。

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私はチャッパで参戦し、約25分、皆で太鼓を打ち続け、途中音につられてテレビカメラも取材に。

太鼓や鉦でにぎにぎしくお客さんをお迎えすることができました。

よさこいチームも到着し、太鼓とのコラボの合わせもちょこっとやりましたが、屋外で音が散ってしまい

なかなか難しい事が判明、本番で合わせるしかないという結論に。

練習風景を見ながら、よさこいもどうせなら舞台の上で踊ればよいのにと思いアドバイスをしましたが

その編成ではやっていないらしく、本番では下の地面で踊っていました。

案の定周りに人垣ができるとせっかくの踊りが殆ど見えず、もったいないなあと思いました。

この辺は太鼓の方が臨機応変に柔軟に対応できたようです。(というかそう練習していない・・・)

オープニングの太鼓は会場中央にしつらえられたステージ上でお互いの音がとりづらく、

私はメンバーの打ち姿に合わせて大太鼓を打っていました。

始めの演奏だったため、椅子に座った観客が遠巻きに見ていて近くに寄るようにアナウンスしましたが

結局そのままでした。

こういう場合、観客を近くに引き寄せる方法を何か考えた方がよさそうです。

演奏自体は深沢組主体でそれはすごいものでした。

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まずはオープニングを終え、盆踊りの時間になり、盆太鼓の確認をすると会には打ち手がおらず

全部こちらにおまかせするとの事、あわわ、それは初耳でした・・・。

ま、そういう事はよくあるのであわてずさわがず盆太鼓を打ちました。

シンシアの人たちは助六太鼓の流れを汲むので盆太鼓はお手の物、皆で交代しながら前半後半

3時間あまり太鼓を打ち続けました。

途中休憩時間によさこいチームとの太鼓コラボがあり、日本では一回あわせたのみでしたが

これも何とか乗り切りました。

当日よさこいチームとの打ち合わせ不足で小さなトラブル等はありましたが、

盆踊り大会も無事終了、招待したスプートニクのガールズホームの子供たち(孤児)も一生の

思い出になったに違いありません。

盆踊りに関しては主催が日本人会、我々はあくまでもそれにお呼ばれして行ったとの認識は当然で

太鼓やよさこいが主役になるというのは本末転倒という認識で臨みました。

元々の発想が、盆踊り=太鼓、という単純なものでしたから。

またステージ上ではタイムキープは厳守で、時間が延びそうであれば後をカットも考える、

時間があまりそうなら何かしらで調整する場面も必要です。

常に時間の流れの把握はしておきたいところです。

コンサート会場でも、種々の事情はあるにせよ開演が遅れたりするのを見受けますが

開演時間はお客さんとの約束事ですからまずは遵守が大原則でしょう。

盆踊り大会は入場時にうちわを配りますが、それに番号が書いてあり最後に抽選でいろいろな

賞品が当たります。一等はスリランカ/日本の往復航空券でしたが、我々関係者は抽選に漏れました。

そんなこんなで盆踊り大会は22:00に幕を閉じました。

盆太鼓、やっぱりムズカシイ・・・。(特に炭坑節)