HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

すわんど発表会終了

さて太鼓教室発表会も無事終了。
場所が大宮のため当日は朝五時半から起きて眠かった・・・。
ワークショップも入れて全部で26教室、開場前のロビーや玄関前では一年の成果を発表すべく、皆エアー太鼓を行うなど準備に余念がない。
日本太鼓協会主催のこの発表会は参加費千円、ハレの舞台に誰もが立ちやすい設定が用意されている。
協会の、できるだけ多くの人が太鼓に慣れ親しむというコンセプトが明快である。
日本全国の太鼓の団体数は五千をくだらないといわれているが日本の文化として定着発展するのはこれからだろう。
膨大な創作曲はあっても誰もが知っているような太鼓の代表曲のようなものはいまだに出現していない。
世界的にもフジヤマゲイシャではなく日本=太鼓という文化背景を構成するくらい盛んになって欲しいものである。
さて、演奏の方はどうか。
キッズのクラスに始まり、種々様々な太鼓演奏が繰り広げられた。
いくつか印象に残っていること。
ひとつは太鼓の振りについて。
ある教室は太鼓を打つ手をゆっくり挙げる時、前からではなく横から挙げる動作をしていた。
確かに腕を真上に挙げ、静止をして打ちおろすには腕はどこを通ってもよいわけで、
見た目の演出としてはとても新鮮に思えた。
太鼓はその音を聴くものに加えて舞台で見る要素が加わってきた事は否定できない。
しかしながら音が出せていないのに、振りばかりに気を取られている太鼓は魅力に乏しいものである。
舞台で大人数の中で音がでている人が一人いればそちらに注意が向いてしまうし、振りが決まっていればどうしてもその人ばかりに目が行ってしまうものだ。
教室の発表会だから素人っぽさが多分にあっておおいにけっこう、技術が未熟で演出に未完成なところがあっても舞台上の人たちの一生懸命さが伝わってきた。
発表会はこれで十分だと思えた。
気になったのはやはり声や笑顔が少なかったこと。
合同チーム等はそのへんに課題が残るかも。
もう一つは失敗した時の表情。
いかにも失敗しましたという顔をするのはまずい。
よっぽどの通でないかぎり、どこが失敗したのかはわからない。
平然と打ってのければ観客はそれは演出と思ってしまう事だろう。
いろいろな太鼓を見るにつけ、明日は我が身という事か・・・・。