HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

和太鼓の審査

先日太鼓コンテストのビデオ審査会に審査員として参加しました。

 

自分なりの審査基準に照らし合わせてその時に感じた事を書き連ねてみたいと思います。

 

生音ではないので和太鼓の迫力は伝わりにくいという点はありますが、逆に生でなくても音楽としてきちんと成立しているか否か。

 

かねてより思っているのですが、車で太鼓の曲をかけた時に音楽として心地よく耳に入って来るだろうか、というのがあります。

 

あまりにも生音に頼り過ぎていてそれがゆえに音楽として成立していないものが多いのではないか?

 

もうひとつ、車で聴くと打つ姿が見えません。その時もきちんと音楽として聴けるのか?

演出の演の部分、視覚に訴える事も必要ですが、音だけ聴いた時にそのよさが伝わってくるか?

そのために審査の時に目をつぶって音だけ聴いたりします。

耳の芸術としてそれに耐えうる内容かどうか。

 

逆に音を消して姿だけを観た時にサマになっているか、も舞台では大事かと思います。

演奏の奏がなくても楽しめるか、アピールしているかも考えられる必要があると。

 

音の構成も今までの太鼓の「常識」として迫力のある音で演奏するのが通例だったと思います。

もちろんその要素は和太鼓の魅力の一つなので否定はできませんが、大きな音だけでの演奏がこれでもか続くと疲れます。

 

最初から最後まで全員で揃って全力で打つ曲の構成がありますが、それはそれとして一人一人に役割が課せられてもよいのではと思う所はあります。

全員が揃う、という見せ場は作れますが、なにも全員で同じことをやらなくてもいいシーンがあってもよかとも。

 

緩急自在な音の構成があると演奏に引き込まれ音を楽しむ事ができます。

音を楽しむ=音楽として成り立つのがよいと思っています。

 

それと楽器の特性を把握して活かしているか?

最近は桶胴太鼓を使う団体も増えましたが、長胴太鼓との音の違いを認識しているのか疑問に思うチームも見受けられます。

音ではなく見た目で太鼓を配列しているようだったらそれは違うかなと。

 

やはり一音一音にこだわった音作りが必要に思います。

 

傾向として一気呵成に演奏する曲が多いのですが、味わい深い曲も逆に新鮮です。

どうしても音的に舞台映えする曲となりますが、構成次第で魅力ある舞台は作れるのではと思います。