HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

仏と遺物はありがたいもの?

さて、大乗仏教では仏様は如来、菩薩、明王、天部など大きく四つに分かれ、その数も数千に及ぶとか。これらは釈迦の死後、経典を整備していく段階で創り出された壮大なフィクションの世界だと思っています。

いわゆる仏教思想をつきつめて体系化した想像の産物かと。

あまたの仏の中にはインド・中国の土着信仰の神々も加えられ、また人の行いや考えに呼応した仏が割り当てられた結果、膨大な数の仏が生まれたんじゃないかと想像します。

これは日本に伝わった大乗仏教に言えることで、スリランカやタイなどの東南アジアの上座部仏教では釈迦牟尼像だけが仏様。東南アジアの寺院に行くと立ったり座ったり寝たりの仏像はありますが、仏様は釈迦牟尼像の一種類です。

釈迦牟尼像以外にも生まれた月別の12の守護神や神像が祀られていたりしますが、これは後世民間信仰と結びついたものではないかと思います。

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東南アジアやチベットに伝わった上座部仏教は個人が修行によって悟りの境地に達するものとされており、タイやミャンマーラオスなどでは男性は一生に一度は出家をして、修行の期間、僧は托鉢によって民衆から布施を受けて生活します。

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修行の期間、見習い僧も高僧も等しくオレンジ色の僧衣に身を包み、日本のように決して金きらきんの華美な事はありません。しかしながら信仰対象の仏像は人々が崇める対象のためキンキラキンにされたものが多いです。

 

仏像が信仰対象になる前、お釈迦様が没して4~500年は仏像は作られる事はなく、ストゥーパ=釈迦の骨(仏舎利)を納めた墓が崇められていたようです。

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このストゥーパが日本に伝わり、五重の塔に変身しました。そのため五重塔には仏舎利が納められています。

仏舎利そのものが特別なものとして信仰対象になり、スリランカの古都キャンディには釈迦の犬歯が祀られている仏歯寺があり、早朝から敬虔な仏教徒の参拝で賑わっています。

釈迦の骨や歯などの遺物は確かに希少価値のある貴重なもの=なかなか無いもの=あり難しもの=ありがたいものとして崇め奉る気持ちもわからなくはないですが、「ものに捉われるは愚者の行い、まことに悟れるものの心は自由である」、と説いたお釈迦様がこれを聞いたら何と思うでしょう。

偶像を崇拝してはならない、というお釈迦様の教えを偶像である仏像に会うたびに思い起こす事にしています。

骨や歯をありがたがるという事ではなく、その持ち主であった釈迦を偲びつつ、お釈迦様の教えに思いを馳せるきっかけにしたいものです。