HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

仏像について

 明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

 

さて、今年も仏教の話で始まります。

以前、ネットで偉人の墓参りをしているものを見た事がありましたが、その人曰く、墓参りをすることでその偉人に会いに行く、偉人の人となりに触れに行ける旅なんだと。

その気分よくわかります。

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これは池上本門寺にある故力道山のお墓です。私は力道山のファンではありませんが、お墓の前に立つと故人と会話ができるつもりになるから不思議ですね。

自分の記憶の中、あるいは想像?創造?した故人との自問自答なんですけど・・・。 

記念碑や銅像で故人を偲ぶ事もできます。

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そんな事から仏教における仏像も故人(仏陀)を偲ぶものの一つではないかと考える次第です。

そもそもお釈迦様は自分の死後、自分の像を作る事を戒めていたそう。

大事なのは像を崇める事にはなく、教えを知り伝える事にあるんだぞと。

 

その教えは釈迦の死後、100年ほどしてから編纂されたようです。

最も古いものの一つとしての法句経=ダンマパダは経典というよりは詩編の形をとって西インドの言葉パーリ語で遺されました。

仏像は釈迦の死後4~500年経ってから作られたんだそう。

お釈迦様の遺言もさすがに時間には抗えなかったと見えます。なお、お釈迦様を慕う人々によって仏像が作られたであろうことも容易に想像がつきますが、仏像はアレクサンダー大王によってもたらされたギリシャ彫刻の影響(ヘレニズム文化)だともされています。

その点、今でも偶像崇拝を厳しく禁じているイスラム教は偉い???

かといって貴重な文化遺産であるバーミアンの大仏を破壊するような蛮行は許されませんけどね。

 

話がそれましたが、私にとって仏像は故仏陀を偲ぶもの、が正解のように思えてなりません。

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仏像自体に霊力が宿るわけでもなく、あくまでも人がこしらえた偶像であると。

仏像はそれ自体芸術的、歴史的価値はあるとしても仏像そのものをありがたがるというのは釈迦の教えに反するもの、仏像に出会って遥か昔にタイムスリップをして仏陀との問答をしてみるくらいの愉しみがあってよいのではと思います。