HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

信仰と迷信

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家の近くにある駒場地蔵、〆切り地蔵として親しまれています。

律義にマスク着用。

由緒については

歴史を訪ねて 目黒の地蔵尊信仰 目黒区 (city.meguro.tokyo.jp)

 

かつて悪疫退散に霊験あらたか(疫病蔓延を〆切った)なところからそう呼ばれているそうな。

 

しかしながら冷静になって世の中を眺めてみると仏や神は今回の新型コロナ禍に対してご利益らしいものは何ももたらしていないように見受けられます。

 

科学的見地からすれば神や仏はウィルスに対して無力なり、と申せましょう。

 

神や仏に物質的ご利益を求めても叶わないという現実、なぜならば神や仏はそれを信仰する人の心の内にのみ存在するからかと。

 

仏像やキリスト像は信仰心を石や木に彫りつけたもので、像そのものには何の力もない、と思う訳であります。信仰のシンボルであって信仰対象ではないかと。

この新型コロナ禍にウィルス消滅を神や仏にいくら祈っても感染拡大は収束しないでしょう。

神や仏は物的な願いを叶えるものではなく、あくまでも精神世界を満たすものとして存在するものと思います。心の拠り所。

仏像やキリスト像仏陀やキリストの存在を想い起こし、時空を超えて彼らと対話をしやすいように作られたものだと思います。

 

仏教の始祖ブッダは自分の死後、像ではなく自分の教えこそを大切に守って欲しいゆえ

弟子たちが自らの像(偶像)を作る事を禁じたそうです。

しかしながら500年後にはその戒めは破られ仏像は作られるようになってしまいます。

 

多くの人々は石や木や金属で作られた像そのものをありがたく拝んでいるのではないでしょうか。

中には患部と同じところを撫でると病気が平癒するというものまであります。

信じる者は救われる、という精神力が快方に影響する事は否めませんが迷信に近いものでしょう。

新型コロナウィルスのような感染症には逆に病を広げてしまいかねません。