新型コロナ退散を願って神社仏閣では祈祷や行事が催されているところもあるようです。
まあ、国家的難局打開の最後の手段として神や仏に祈るというのは昔からの習わしではあるのかと。
鎌倉時代に二度にわたる元寇という国難から日本を救ったのは神風だったとか。
しかし、これは冷静に捉えればたまたま台風の季節に当たったという事だけでしょう。
当時の事ですから神仏に祈りを捧げ、結果神風が吹いたと考えたのは自然の流れだったかと思います。
人知の及ばない自然現象を神の仕業にしてきたのも理解できます。
神の仕事にすれば未解決な事もそれで解決します。
しか~し、数あるパワースポットである神社仏閣がその霊力や神通力で新型コロナウィルス退散に貢献したという話は聞き及びません。
ヘタをするとクラスターの発生源になりかねないという事で初詣自粛、参拝前に清めるべき手水場は閉鎖、大鈴の綱は手が届かない位置に、スマホでお賽銭まで登場しました。
お寺や神社は信仰の対象として文化的価値がありますが、新型コロナ退散と言う大役には残念ながら無力である事が証明されてしまったのでは?
お寺や神社は人々の不安な気持ちをやわらげるために行動したり、疲弊した人々の心の拠り所としての相談所のような役割が必要なのではと思います。
パワースポットと称してモノを売っての収入もありと思いますが、本来ココロを売ってその対価を得るのが宗教者の在り方と思います。
神や仏は心の病は癒せても真の病は治せない。
なぜならば神や仏は自分のこころの内にしか存在しないから、
信心とは自分の心を神として仏として信じる事ではないのかと。