HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

ナモーアミター

ナモーアミターとはなんじゃらほいですが、南無阿弥陀仏と聞けばああそうかと誰もが知っている言葉です。

鎌倉時代初期、法然を宗祖とする浄土宗が生まれましたが、その念仏が南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)です。

南無はサンスクリット語のナモーの音の漢字で礼拝の意、そこから転じて帰依するという意味で使われます。阿弥陀仏阿弥陀サンスクリット語のアミターで、はかる事ができない=無量の意。

法然は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える事で、阿弥陀仏に帰依します、という意思表示を行い、阿弥陀様に極楽浄土へ導かれる、と説いたそうです。

f:id:happyrabbit797:20191231123624j:plain鎌倉の大仏様は阿弥陀如来

浄土宗の本尊は阿弥陀如来、ここで疑問が生じるのは阿弥陀如来阿弥陀仏は一緒なの?

これは一緒、呼称の違い。

念仏を唱える事で極楽浄土へ往生できる、という教えは死後、あの世(彼岸)で救われる事を説いているのか、この世(此岸)での成仏を具現化できるのか、は浅学の身としては判然としません。しかしながら当時の社会不安を思えば前者なのかも知れないし、現代的に解釈を施せば後者になるのかも。

 

葬儀や供養などでお坊さんが、なむあみだぶつ、なんまんだぶつ、なんまんだぶ、なもあみだー、なんまいだー、なんまんだー、なんまんだーぶ、などという念仏を唱えている事がありますが、その意味について詳しく語られたという記憶はありません。

もっとも我が家は真言宗だった事もあり、その手の説教もなかったのかも知れません。

ちなみに南無阿弥陀仏(浄土宗、浄土真宗真宗天台宗)南無大師編照金剛(真言宗)、南無釈迦尼仏(曹洞宗臨済宗天台宗)、南無妙法蓮華経日蓮宗)、とそれぞれの宗派で異なっているようです。

 

南無阿弥陀仏となると仏教色が一気に増しますが、ナモーアミター=測り知れないものにご挨拶します、これを自分なりに意訳して「真理よこんにちは」と自分に問うてみると仏陀の教えに近づけるのではないかと勝手に思います。