HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

ラオス残照

今回のラオスの旅を振り返って思う事、
ラオスはアジアの最貧国と言われていますが決してそんな印象はありませんでした。

どこか誇り高く、経済に媚びる事無く毎日を一生懸命のんびりと暮らしているように見えました。

貨幣経済はそういうシアワセのカタチを少なからず破壊する魔力を持っているのでは・・・。

とあるテレビ番組で、アフリカの奥地を探検するのがあり、
母系家族の中で奥さんより現金収入の少ない漁師の旦那はボロクソになじられていました。
貨幣経済が浸透していなければ、獲れた魚を家族で食べればシアワセに暮らせるのではと・・・。
何を得るにもお金が必要な世の中は精神的にはツライのかもなあ。

この写真はルアンパバンの街の通りで撮ったものですが意味不明のものが写っています。
椅子、台、弁当、刃物らしきものまではわかるのですが、この丸い容器は???
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こちらは大きな菩提樹の下を行く僧と仏像。

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菩提樹はその木の下で釈迦が悟りを開いたとされていて信仰の対象になっています。
菩提=サンスクリッド語のボーディエの漢訳ですが
ボーディエ、菩提は元々悟りとか偉大なる知恵、完全な英知の意があるとか。
日本では菩提を弔っちゃうという葬式仏教になってますが
生きているうちにどうにか菩提の境地なるものを覗いてみたいものです。

こちらはラオスのお稲荷さんか?!
いや、ニャンコのお面をつけた植木鉢です。
これがいくつもぶら下げてある光景は人のココロをなごませます。
街の中に、ゆとりとユーモアと草花があるというのはいいもんであります。
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こちらはすでに紹介済みですが、日傘を手に街中を行くバイク。
日中は強烈な日射しを浴びるのでこの気持ちもわからなくはないですが、アブナイですねえ。
それだけ街がのんびりしているという事でしょうか。
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この黄色いのも意味不明の物体です。
お寺の本堂の中なので、合図用の鐘なのか(バチらしきものも見えます)う~む。
ラオスの寺院は壁に釈迦の縁起物語が描いてあるところも多いです。
ある程度定型化してもいるようで、これは象と猿が仏に帰依しているシーン?
お寺の境内にはこれと同じ構図の像をよく見かけます。
まあ、実際猿や象の世界に仏教は不要とも思いますが、
仏の慈悲は生きとし生けるものに向かうもの、と考えれば腑に落ちまする。
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これも紹介済みですが、お寺の屋根は鏡で飾られていて、日が当たるとキラキラ輝きます。
何とも荘厳な雰囲気が漂います。
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ラオスやタイ、スリランカやネパールは上座部仏教と呼ばれる仏教が主流ですが、
詳しくはわかりませんが日本のように宗派で分かれている事はないそうです。
そして生活の中に喜捨の精神が普通に生きているように感じます。
托鉢僧がいればお布施は当然。
これはキリスト教においても同じようで、寄付は日常行為として行われていて
よくアメリカの歌手やスターがチャリティショーを行いますが
どうやら欧米の恵まれない人々へのチャリティーは生活の一部となっているようですね。
イスラム教でも持てる者は持たざる者へ寄付するのは当然、とされているとか。

日本では寄付やチャリティーはちょっと身構えるところがなきにしもあらず。
今回のラオスは今更ながらそんな事を感じさせてくれる旅になりました。