HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

USB手元ライト

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年のせいか朝早く起きるようになりました。

年を取るとなぜに早起きするんだろ?

ネット検索してみると同じテーマがわんさか。

高齢者の早起きは世の中の常のようです。

 

まだ暗い中、パソコンの電源を入れ、ブログの記事を書いたりの日常です。

そこで役に立つのがUSBで電源がとれる小型のLEDライト。

100円ショップでいろいろなタイプのものが売られています。

 

これもその一つ、電球色なので気に入ってます。

キーボードが見えないとタイピングできないので手元のライトは必須、

部屋全体の照明を点ける必要もなく重宝しています。

 

さて、高齢者の早起きの原因はいくつかあるようで、

ひとつは体内時計の朝型セッティングが促進される事。

体内時計は体に浴びる光でセットされるんだとか。

朝から日光を浴びると朝型に、夜に光を浴びると夜型になるそうです。

 

飛行機で移動した時の時差ボケを修正するのに全身で光をたっぷり浴びるという方法が紹介されていました。

 

これ以外にホルモンバランス、尿意の頻度、精神状態等が影響する場合があるんだとか。

早寝早起きは人為的、生理的に形作られる生活習慣のようです。

 

子供の頃、夜の学習を頑張るよりとにかく寝て、朝起きて頭スッキリ状態でやった方がよい、と言われました。一夜漬けより浅(朝)漬け?

 

でも、寝る前に記憶する努力をした方が記憶物質が生成されるような気も致します。

記憶力低下の折、いかに覚えやすく、覚えるものが記憶の枝に引っかかるようにする方法はないものか、暗闇で考える今日この頃であります。

 

 

手から生まれる構想

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今年5月から始まる予定の特別支援学級太鼓授業の演奏と練習の構想中です。

337応援太鼓を基軸に組み立ててみています。

 

構想する上でとても有用なのがA4サイズのホワイトボードノートです。

 

書いたり消したりがいくらでもでき、考えをまとめるのにとても重宝します。

パソコン画面もいくらでも上書きができますが、頭の中のイメージを文字にしたり絵にしたりするのは自らの手を動かすのが一番だと思います。

 

キーボードと言うデジタルの道具を通すより、頭と直結する手を動かす方が考えがまとまりやすい、というのはアナログ人間の証拠でしょうか。

 

 

 

2021明けましておめでとうございます!


2021謹賀新年

 

新年明けましておめでとうございます。

本年「は」よろしくお願いします、という気分でございます。

 

新型コロナ禍で暗い世相ですが、疫病退散の赤べこで多少なりともの気休めを・・・。

という事でアニメーションを作ってみました。

 

赤い色には魔除け厄除けのチカラが宿るそうで、古来より神社仏閣は朱色に塗られる事が多かったようです。

 

ワクチンが救世主となるのかまだまだ予断を許しませんが、2021年の幕開けも前途多難、今しばらくは巣籠する事にいたしましょう。

 

 

 

 

不要不急のトイレットペーパー?

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新型コロナ禍が広がったあおりでマスクのみならずなぜかトイレットペーパーやティッシュなど紙製品が店の棚から消え失せたにゃあ。

かつてオイルショックの時に紙製品がなくなる、というデマでトイレットペーパーが店頭から消え失せたのは1973年のこと、かの時代はトイレットペーパーがないとお尻がふけないという実情もあり、人々がパニクルのも致し方なかったのかもしれないにゃ。

 

ところで今の世でティッシュやトイレットペーパーは生活必需品?

否、無ければ無いで工夫すればよいと思うニャ。

 

日本ではウォッシュレットタイプのおしり洗浄装置の普及率は高く、ウォッシュレットのないトイレを捜す方がムズカシイのではにゃいかいにゃ?

ウォッシュレットは日本の高度な文明が生んだ世界的に偉大な発明かも。

 

しかしながらラオスの辺鄙な田舎もウォッシュレットでありました。

それは右手に持った柄杓で水がめから水をすくい、その水で左手を使って尻を洗うという、手動ウォッシュレット方式!当然トイレットペーパーはありません。

もしくはビニルホース直結式のウォシュレット、当然常に左手が不浄の手として機能します。ま、この場合世の中何とでもなるという鷹揚さは必要かと。

 

日本ではトイレットペーパーがなくなる、というデマで集団パニックに陥る人々の精神構造の方がよっぽどオソロシイとニャンコのあたいは思うんだわさ。

 

そもそもニャンコはトイレットペーパーは要らんし、不要不急の代物。

 

もっとオソロシイのは議員の不祥事の尻をぬぐう輩がぎょうさんおるという事だがにゃあ。

 

 

 

キリスト教について

今年は新型コロナ禍で出かける機会が極端に減りました。

今まで生活の根幹をなしていた太鼓活動は1割程度に落ち込んだのではないかと。

 

例年バカ騒ぎをしているクリスマスもさすがに3密を避けて清しこの夜を実践できたのではないかと思います。

 

そんな家に巣籠中、アマゾンプライムの映画見放題は強い味方となりました。

 

巷で話題の鬼滅の刃も見れたし、カミさんとダウントンアビーにはまったり・・・。

 

今はまっているのはイギリスBBC制作の探偵もの「ブラウン神父」。

主人公はイギリスの片田舎の神父で、毎回起こる殺人事件を解決していきます。

イギリスの美しい田園風景を堪能でき、キリスト教への理解が進む、なかなかオモシロイ内容となっています。

神父ならではの特権をフル活用し、発見死体と犯人にとても近しい立場がいつも警察を出し抜いています。

 

中でも告解と神の赦しを得るというのはこのドラマの核心かも知れません。

主人公のブラウン神父はいわゆる破戒僧のような問題児で、決して堅物ではないのですが、人々の魂を救い続けます。

 

神はお赦しになる=自分の良心に恥じないように、という事が繰り返し描かれています。

私は無神論者なので、処女受胎とかはあり得ない、それこそ神に反する行為だと思うし、神格化するための大ウソではないかと思います。

キリストの父親はマリアの夫の大工のヨセフであったろうし、(後世ヨセフはよぼよぼの爺さんとして描かれる)死者が復活するというそれこそ神がかっている事が聖書に記されています。

これらはキリストや釈迦は俗人であってはならない、という後世の人々の願望の表れではないのかと。

釈迦が、母親の脇の下から生まれ出で、馬の子のようにすぐ立ち上がり天上天下唯我独尊と言葉を発したとされるのと同じではないかと思うわけです。

 

話を元に戻しますが、ブラウン神父というドラマのおかげで今まで遠かったキリスト教の精神がなんとなく身近なものに思えてきました。

奇跡や秘跡という非科学的なものよりも物的証拠を重んじる、歴史や伝統に縛られるのはよしともしないけれど軽んじもしない、あくまでも聖職者なので法よりも良心を優先させる、というドラマ仕立てに好感が持てます。

時には殺人犯を逃がしちゃったりもしますけれど。

高層階には住みたくない

我が家はマンション住まいが長いのであります。

 

中学生の頃は国鉄のアパートでした。

鉄筋コンクリート5階建ての4階、階段のみ。

それまでは平屋住まいで、二階家とも縁がありませなんだ。

生まれて初めての高層暮らし、就寝していると不思議と空中にいるという感覚がありました。

 

その後、実家暮らしでは二階でしたが、結婚してマンション住まいに。

部屋は4階、東南の角部屋ということもあり、窓を開けると風がよく通りました。

幹線道路には面していなかったものの、前面道路はそこそこの交通量があり、あまり静かとは言えませんが、音に関しては慣れるもので、気にならなくなりました。

そうでなければ人は線路の際なんかには住めないと思います。

 

その時は4階から脱出できるようロープを購入し、万が一に備えておりました。

 

子供も生まれ、手狭になったので物件を探し、2年くらいかけてあちこち見て回りました。

非国民というニャンコの戯言

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世の中には「あんたそれでも日本人か?!」という人もおるわにゃあ。

 

最近の話題では「原稿を棒読みする日本の首相は最悪」と評した国際的作家先生に対し、顔をいじくって数十万とる美容整形の先生が「自分たちが選んだ国の代表を悪く言うのはそれでもあなたは日本人か?」と批判したそうではにゃいか。

日本の首相の行状に真摯な意見を述べる事に対し、非国民という目で見る方が不愉快で危なくてオソロシイ現象とあたいには思えるんだけどにゃ。

それに首相を選んだのは国民の総意ではなく、ほんの一部の与党議員という事をお忘れでは?

 

かつて「お国のために」という呪文のもとで日本がどういう運命を辿ったのか、歴史から学ぶべきだにゃあ。

皆が同じ方向を向いて突っ走るのは日本人は好きそうなんだけど、それに歯止めがかかる機能を失うと暴走してしまう。どんなシーンでもブレーキの存在は必要なんだわさ。

 

国の運営もおんなじで、アクセルとブレーキを踏み間違えるととんでもない悲惨な結果を招くのは歴史が証明しているにゃ。

 

非国民と単細胞的に決めつけずに多様な意見に耳を傾ける姿勢が健全さを保てるんだと、たかがニャンコのあたいは思うんだけどにゃあ。

 

そうしないと国家権力で市民の発言を封じ込めるどこかの国と同じになっちゃうのかと。