しかし一貫というと3、75kgですから、まあけっこうな赤児という事になりますが・・・。
ほぼ人生を全うして死出の旅路に向かう時も生まれてきた時と同じように
あの世に持って行けるものは何一つありません。
まあ、あの世があるのかどうかは死んだ事がないのでよくわかりませんけど
三途の川の渡し船の船賃とかで紙のお金を棺に入れる習慣もあるそうな。
紙切れの偽金に逆上した渡し守に殺されないか心配です。
しかし、地獄で殺されるという事は生き返るというコトにはならないのでしょうか・・・。
マイナス×マイナス=プラスということで?!
臨死体験で観る極楽浄土の光景は人の脳の中での出来事という事がわかってきたそうです。
まあ、生きている時に死後の世界の事であれこれ悩むのはストレスのもと、
それは死んでからじっくり考えればよいことなのかも。
という事で、生きているうちはこの世の事で悩むがよろし。
以下は個人的な考えですが、
命あるものはその存続をはかる事が本能であ~る。
それは個体、種とも同じで個体は本能的に死から免れようとそれこそ必死になります。
動物や植物に感情があるかはわかりませんが「死にたくな~い!」というのがこれ。
一方、種の保存は子孫を残す事で生命の存続をはかる本能。
川を遡上するサケの映像などを見るたびに「何としてでも種の保存を~!」というサケの固い決意が
伝わって来るように思います。
人様がご先祖様に感謝するのも同じ理由からと思われます。
個体にとって生や死は当然の自然現象で、普通に生まれて普通に死んで行く、のはごく当たり前の事。
種の保存という長~いリレーの一員、命のバトンを次の世代に運び終えたら静かにこの世を去るもの。
永遠の命などを夢見てはいけません。
そんなコトになったらこの世は走者だらけになってえらい事になっちゃいます。
自然に生をまっとうできるのが理想ですが、交通事故やらエボラ出血熱やら愛憎殺人やらで
なかなか平穏に生かさせてくれないのがこの世、平穏なあの世に行きたくもなる???