断捨離ということばは1976年にヨガの発想法として登場したらしいです。
断つ、捨てる、離れる、仏教思想にも通じるものがあるように思います。
そろそろ断捨離を考えるお年頃か、と思うようにもなりました。
確かにいくらものや知識を蓄えてもあの世には何も持って行けません。
そもそもあの世すら存在しないと思うし、死んだら骨以外な~んも残らないと考えてます。
霊魂があるなんてとんでもございません。
あの世があると思いたがるのは、死んで無になるのが怖いから、せめてあの世で存在し続けたいという切ない願望からかと思います。
ま、無には帰するのは無念と諦めて、凡人は人々の間に生きた記憶や記録が少しの間残るくらいかと。
自分達が存在するのは御先祖達が営々と命をつないでくれたおかげです。
ご先祖が残してくれたもの、家系図上の名前、遺影、多少の財産、あるいは借金、生きざま、家訓、etc。
断捨離は自分の為ではなく、遺された人の負担を軽くするために行うものかと思います。
断捨離しないと要はゴミ屋敷になりかねないと。
持ち主にとっては人生の詰まった宝物でも、他人にとってはゴミでしかないというケースも。
しかしながら人生を終わるにあたって、断捨離ではなく、反対にもっと悶えてみる、こだわってみる、やってみる、持ってみる、喰ってみる、飲んでみる、という欲張った邪悪な思考が頭をもたげてまいりました。
どうせ死ぬならその前にいろんな事を試しておこう、食っておこう、というあさましい亡者の思想です。
断捨離の境地とは正反対の執着続々の境地?
その方がゾクゾクしそう・・・。
とはいっても宇宙に行くとか深海に行くとか、財力にものを言わす事はかなわないので、ささやかな贅沢と言うか、手の届く範囲での話ではあります。