HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

思い立ったが吉日

思い立ったが吉日、何かをしようと思ったらすぐにとりかかるのがよい、という諺。

 

昔は吉凶を占うという生活習慣があり、何かを行う時には日を選んでおりました。

 

平安時代陰陽道に従ってその日の行動を朝の占いによって決めていたとか。

また禁忌の日時があり、外出してはいけない日や時間もあったとか。

占いや迷信によって生活パターンが決められてしまい、思い立っても即行動に移せない時代がありました。

 

その因習が現代にも残っております。

今でも結婚式など祝い事は大安吉日を選び、葬式は友引の日は避けます。

 

思い立ったが吉日、なにかやろうと思ったら即実行。

 

これは物忘れが日常化する高齢者にとっては必須の行動かも知れません。

 

何かしようと思ったら即やらないと、あれ、自分は何しようとしてたんだっけ???という事がよく起こるようになります。

 

他の事をやるとると主目的を忘れてしまったり。

 

出かけようと靴下を取り出し、ソファの上に投げた時に宅配のピンポーン、インタフォンで対応して(相手が何言ってんだかよくわかりませんが)、玄関で荷物を受け取り、戻って荷を解くころには靴下の事をすっかり忘れています。

 

いよいよ出かける時間が迫り、そうそう靴下はかなくちゃ、と思い出すんですが、その靴下をどこに置いたかが思い出せない。

う~ん、靴下どこ行った、となるわけです。

 

思い立ったが吉日で、その場でやる、という事をしないと他事に紛れて忘れてしまう事が多くなります。

 

太鼓仲間でも休憩中に、私のバチはどこ?と探し回る人が。

何気なくその辺にバチを置いて、水分補給のためにバッグのところに移動、そこで世間話に花を咲かせていざ練習、となる時にバチを置いた場所、置いた行為が思い出せない。バチが消えてしまいます。

軽い認知症候群とでもいいましょうか、とにかくものがよくなくなります。

 

太鼓仲間では、そういうことは日常茶飯事、問題視せずにお年頃だから、と笑って済ます事にしています。

こればっかりは歳を取らないとわからない感覚、物忘れをなじっても解決するもんではありません。

若い人には理解不能の現象。

 

高齢者にとっては、思い立ったが吉日、ではなく、思い立ったら吉瞬、と瞬時に対応するのがよろしいようで。