東北の旅、最終日の様子です。
天台宗延福寺として建立、平泉・藤原氏、その後頼朝の鎌倉幕府の庇護を受ける。
しかし、戦国時代を経て次第に衰退し、妙心寺派に属するようになったとか。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが終了した後、伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は90余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
しかし、明治維新を迎え廃仏毀釈、伊達家の版籍奉還により寺領は荒廃したそうですが、明治9年天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となったそうです。
現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されております。
しかし、戦国時代を経て次第に衰退し、妙心寺派に属するようになったとか。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが終了した後、伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は90余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
しかし、明治維新を迎え廃仏毀釈、伊達家の版籍奉還により寺領は荒廃したそうですが、明治9年天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となったそうです。
現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されております。
<瑞巌寺HPより抜粋>
参道より山門を振り返ると鬱蒼とした杉木立は妙に明るい事に気付きます。
山門からかなり入ったところに先の津波到達点の標識が。
海水に洗われた杉林は枯れて300数本が切り倒されたとか。
国宝に指定されている庫裡
なかなかに美しいたたずまいです。
同じく国宝の本堂は現在平成の改修中でその全容は覆いの中でした。
庫裡の庭先にも日本の美が。
陽徳院御霊屋