関心の無いものは目に入らない
街を歩いていて新しい店などがオープンしているのは目に留まる。
しかし、そこに以前何があったのかを思いだすには至らないかも知れない。
要は関心のないものは記憶に残らない。
これは生きて行く上で必要な機能なのかも知れない。
何から何まで記憶していると恐らく脳がパンクするのではないだろうか。
これは日頃の太鼓の練習にも宛ては○?←なんじゃこの変換は?→当てはまるのだ。
我々の持ち曲に、初っ切り(しょっきり)太鼓と別名を持つ太鼓の曲がある。
始まりの部分、大太鼓の表・裏、相撲太鼓、ドラ、笛などがそれぞれ一人ずつ絡みながら演奏。
このやり取りを前打ちといわれる長胴太鼓の連中はずっと聞いている。
しかし人ごとと思ってただ聞き流していると殆ど何も覚えない。
(いざ打ってみるとまともに打てないのが論より証拠)
(いざ打ってみるとまともに打てないのが論より証拠)
関心を持って「聴いて」いれば、あら不思議、自然に覚えてしまうものだ。
関心を持つ事は記憶しようというスイッチオンの状態なのだと思うわけであります。