HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

太鼓:一日練習+二時間

11日は一日練習でしたが、夕方から指導員チームの本番練習があるため午後の遅めに早退。

午前中練習に来たのは6名、相変わらず少ないのですが指導者もお見えになりました。

歓喜の仕上がり具合を確認してもらいましたが、なかなかいい仕上がりとのこと、

日頃の練習の成果が表れてきたようで一安心。

ソロ回しもだいぶ慣れて来て、以前は緊張の余りオソロシク怖い顔をして打っていた人から

笑みがこぼれるようにもなりました。

ただし、指導者から注文がつきました。歓喜は練習曲として打っているけれど

曲として演奏するには曲らしくなっていない、とのこと。

これを言われた時の皆さんの反応は「?」という感じでした。

練習「曲」として打っているのに曲らしくない???

分析してみるに、演奏の気合いが入っていない、という事になろうかと思います。

練習上はテンポをキープする、間違えない、流れを止めない等等、注意するポイントは

たくさんあるけれど、それらをそつなく流しているだけ、と。


この視点は今迄全然気が付かなかったので、目からうろこでありました。

練習中でもつねに表現者であれ、今後も注意したいところです。


その後「神楽」の練習。

神楽については過去に3回正式に講習を受けていますが、殆どの人が受けただけ、という

状態になっているように思えます。講習時のビデオもあるのですが、それらを熱心に見直して

自分のものにしようと努力しているのは新人三人を入れて数人に過ぎません。

その中でも曲の練習方法について解釈の仕方が異なり、ちょっとぎくしゃく。

私は過去の講習を含め、総合的に曲を理解すればいいじゃん、という考え、

ある人は直近講習を正とすべし、というもの。

でもこの「神楽」についてはかなりアバウトで、

繰り返すフレーズの回数は特に決まっていなかったり、

初っ切りの部分はアドリブで打ってよい部分があったり、

全体の構成はAパターンBパターンがありそれらの組み合わせも特に決まっていません。

神楽は一晩中演奏されるという事もあるようで、特にこれという定番はないようです。

それ程ユルイ曲なので、直近講習の一から十まできちんと手順を守るべきとは思えないのです。

もし直近講習だけを正とし、それ以外を参照しないとしたら過去の講習は何だったの?と。

直近講習通りに習得するのには賛成ですが、それ以外は認めないというのはどうかと思います。

太鼓にはこれが正しい、という事がないというのも正解、場合によってはどれも正しい、と。

A地点からB地点に行くのに、道は一本だけと決めつけるのではなく、

どの道も正解、というおおらかさもあるという事だと思います。

西欧合理主義に慣れている頭では考えにくいですが、曖昧なところがあってよし、というのは

日本的なありかただと思う次第。

この辺の感覚を理解できる人は今のチームにはいないのかも知れません。

ちょっと残念。(と言いつつも以前は理解できなかったかも)


そんな悩みを抱きつつ、さいたまのスタジオに移動しました。