新型コロナの影響で家でamazonprimeで映画を観る機会が増えました。
樹木希林さんが出ている映画「日々是好日」を観ました。
大学生の主人公(黒木華)が習い事のお茶を始め、
そのお茶を通しての生活が淡々と描かれています。
日本の四季やお茶の作法、家族、社会、
それぞれの人生の背景などが茶室を中心に静かに進行します。
原作は森下典子の「日々是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ」。
映画の中で樹木希林演ずる武田先生は
「お茶はまずカタチから。先にカタチを作っておいてその入れ物に後から心が入るもの」と。
思わず、これは太鼓の演奏と一緒やなあと思いました。
とにかく理屈抜きで曲(カタチ)を覚える、曲を覚えないと始まりません。
茶道の所作には一つひとつ意味がありますが、まずはカタチを覚えます。
所作の順を覚えるのは曲順を覚えるのと一緒、頭ではなく手が覚えたらその意味を理解して行きます。
太鼓では表現するという段階に進む事になります。
曲を覚えてそのまま音に出す、というのはロボットにまかせておけばいい話で
人が演奏する場合はそこに心があってしかるべきと思います。
さて、ここで問題となるのはその太鼓の曲事態にどれくらい心を感じる事ができるか?
太鼓の曲に作曲者の思い入れがどれほど込められているか?
太鼓には基本的にメロディラインがないので表現の幅が狭く、
太鼓の曲でシーンをイメージさせるのは不得意な分野かも知れません。
以前観た海外のドラマで、BGMに「三宅」が使われていました。
ラヴェルのボレロのように段々とクライマックスに上り詰めて行くような演出。
さて、和太鼓演奏時にどういう心を入れるか、逆に無心なのか・・・。
座って考えていると足がしびれそうデス。