「お守りは 心がこもれば それでよい」
お守りは自分や神のためではなく、人のために込められている祈りの気持ちがあればそれでよい。
私にはこの世に神や仏が存在するかどうかはわかりません。
どちらかというと私自身は無神論者であるでしょう。
先日、笛のお師匠が演奏会の撮影のお礼にと京都の白雲神社のお札を下さいました。この神社の御利益は技芸上達との事。
以前の私であれば、お札に神通力があろうハズも無く、個人の努力なくしては技芸の上達なんぞあり得ない・・・お札は神ではなく単なる紙と考えたことでしょう。
しかしながら、師匠がわざわざそのお札を私に下さるということは、どうかもっと上達して下さいという気持ちがこめられているのではないか、その気持ちがお札という形で表されているのではないかと思ったわけです。
お札を作る側が、どうか技芸がもっと上達するようにと本気で願いを込めてそのお札を作っているならば、その気持ちをありがたく頂戴するのはやぶさかではないと。
お札やお守り自体をありがたがるのではなく、そこに込められている心を感じるほうが、本当なのではないのかなと思う今日この頃でございます。