最近観たNHKの番組、日本の戦国時代が実は世界と結びついていたという事が歴史事実として明らかにされていました。
大航海時代、ポルトガルによって世界が植民地化されて行きます。
今もマカオやブラジルにその痕跡が。
日本も南蛮と言われるポルトガルと接触、キリスト教、鉄砲が伝えられました。
カステラもポルトガルがカスティリア王国と呼ばれていたところから伝わったものと。
ポルトガルがスペインに呑み込まれ、スペインの時代がやってきます。
織田信長はスペイン宣教師から軍事情報を入手、宣教師はスペインのアジア制服をもくろんで日本をキリスト教国家にしようと信長に取り入ります’。
その矢先、信長は本能寺の変で命を落とし、秀吉が天下人に。
秀吉は中国の明を征服しようと朝鮮に出兵、スペインはアジア征服に日本の武力を利用しようと着々とキリシタン大名を増やしておりました。
朝鮮に出兵させられたのは西国のキリシタン大名たち、これは秀吉のキリシタン大名たちの力を削ぐという深謀遠慮があったようです。したたかな秀吉。
そのさなか、秀吉は他界してしまい、中国征服は夢に終わってしまいます。
そして徳川方東軍と豊臣恩顧の西軍が関が原で激突、この時西軍はキリシタン大名がかなりの戦力を占めておりました。
家康はスペインと敵対する新興勢力オランダと組み、大量の鉄砲を準備、数時間で戦に勝利しました。
その後、大阪冬の陣でオランダから購入した最新式大砲で大阪城天守閣を砲撃、休戦した時に堀を埋めてしまい、夏の陣で豊臣を滅ぼします。
スペインはあくまでキリスト教の布教を掲げていたため、家康はこれを拒否、禁教令を発してキリスト教を弾圧。
これに比してオランダはあくまでも商業目的で家康に接触、スペインから独立するために日本の銀の入手に成功します。
徳川家康は戦国時代を終結、その後300年の天下泰平の世の中になります。
ここで意外な史実が紹介されていました。
天下泰平の時代が訪れ、戦がなくなると仕事にあぶれる武士が大量に発生、これらのサムライをオランダが傭兵としてスペインの植民地攻略に利用したとの事。
これは驚きの史実でした。
またオランダが目を付けた日本の銀は当時の世界の銀生産量の三分の一を占めていたとか、日本の銀が世界史に重要な役割を果たしていたという事です。
鎖国政策をとった徳川時代も、日本がグローバルな世界と深いつながりをもっていたわけで、現代の自国ファーストの傾向に歴史的警鐘を鳴らすのではないでしょうか。