なぜオヤジがおやじギャグを言うようになるのか、謎は解明されていないようです。
おやじギャグは一種の言葉遊びなんですが、あまりにも「べたなもの」は世に敬遠される傾向もあるのかなと。
幻の焼酎森伊蔵はイ~ゾ~、とか、今夜のパパの料理はカレイ臭、とか、王様の靴下はストッキング、とか・・・。
でもこの言葉遊び文化は古来からあるもので、例えば小野小町の
花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
の歌にも言葉遊びの要素が盛り込まれています。
花の色=容色、世にふる=経ると降るの二重の意、ながめ=眺めと長雨をかけている、
等、歌の中に裏の意味を持たせるという高度な遊びの精神が盛り込まれ、貴族の教養のバロメーターとしての歌はとても重要だったようです。
ここのところ元の黙阿弥戯作三昧でお届けしているバーチャル現代歌舞伎の元になっている歌舞伎「白波五人男」の役者のせりふも同じような言葉遊びの要素がふんだんに盛り込まれています。
弁天小僧の台詞の中に「くすね銭せぇだんだんに悪事はのぼる上の宮 岩本院の講中で・・・」のくだりにも江の島の弁天様の地名が盛り込んであったり、のぼると上の宮のことばがかけられたりして巧みに言葉遊びがなされています。
おやじギャグはこの古来よりの言葉遊びの伝統をしっかり受け継いで今に伝えているものなのでは?とも思いますが、洒落は洒落でも駄がつく駄洒落の様相を呈しているかも知れませんの利休。