築地市場は豊洲に2018年に移転、場外市場はそのまま残っています。
築地の歴史を紐解いてみると江戸時代にまでは遡る事ができます。
なぜかというと当地はそれ以前は海だった・・・。
江戸と言う町が当時一大消費地であり、そこから出る塵芥で埋め立てられて行きました。築地という地名も地を築くという単純な命名と言えます。
元々魚を扱う市場は日本橋魚河岸にあったのが1935年築地に公設市場として移転、隣接する築地本願寺の門前町、寺町が自然発生的に繁栄していったのが今の築地場外市場との事のようです。
寺町当時58ヵ寺あったとされる寺の内、今も残る築地本願寺子院の円正寺、戦前建築の姿を今に伝える希少な存在となっている。
今はコロナ禍で閉めていますが、路地に面している寺の一部(奥行き90cm)が店になっていて街の賑わい形成に寄与しています。無表情なお寺の塀が続いているよりは全然よろしい。
ちなみに古地図を見ると場外市場の一角は本当にお寺だらけです。
場外市場は昭和の色を色濃く残していて、看板もそっけなくオシャレとは縁遠いところが逆に新鮮だったり・・・。
どこか東南アジアの「いい加減さ」が残っていて懐かしさが濃厚に漂います。
ちなみにこちらはタイのバンコクの風景です。違う点は実際の街のニオイでしょうか。
築地に戻ります。
崩れかけた倉庫らしきものもまだ現役のようで、凄みさえあります。
築地の事を調べていると、1953年にビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被ばくした第五福竜丸のマグロが築地市場に水揚げされ、放射能汚染されていたため土中に埋められたそうです。今となってはその場所も定かではないそうで、こうして歴史の事実とともに核のオソロシサも忘れ去られて行くようです。