霊験は 努力の上に 降り注ぐ
神社仏閣、霊験あらたかとして信仰されています。
川越街道上板橋宿にある轡(くつわ)神社は咳の病に霊験あらたかとかで賑わったそうです。
また平泉中尊寺の峯薬師は目の病に霊験あらたかなんだとか。
病に関しては薬師如来が信仰の対象ですが、この霊験あらたかという問題、ひょっとすると「病は気から」という事に関連しているのかも。
「いわしの頭も信心から」とか「信ずるものは救われる」という強く信じ、願う事で人の体内や脳内になんらかの物質が放出され、それで免疫力が高まる結果病にも好結果が出る、みたいな事があるのかも知れません。
自分がよくなりたい、病気を治したい、と強く思いながら神仏に祈る、という行為が霊験あらたかさを生むのやも。
寺社にお参りして、願掛けをしてそれが成就するとお礼参りで再び感謝の意を表する、というのが元々の姿というのを聞いたことがあります。
願いを叶えるための努力をせず、何でも安易に神頼みというのは虫が良すぎる話なのかも知れませんね。