三宅島神着地区で7月の牛頭天王祭のお祭りの神輿の先導として打てれている木遣り太鼓、
あちこち調べて見ると、1820年(文政3年)、三宅島神着村百姓藤助、八三郎、又八の三人が
お伊勢参りの帰り京都の祇園祭を見て、帰島後牛頭天王祭を始めた、そうです。
なんで祇園祭が牛頭天王祭なのかは、祇園社は牛頭天王をお祀りしているからなんですね。
時期も7月15日と祇園祭に模しています。
江戸時代はお伊勢参りがブームとなり、百姓町人が伊勢講を仕立てて旅を楽しむようになったようです。
でも、三宅のあの躍動的な太鼓と、雅な祇園祭のお囃子が結びつくのか疑問でしたが、
今の世の中便利なもので、早速youtubeでチェックして見ます。
そうするとお囃子の中にはトッコトッコというリズムを使っているシーンもあり
関連性をうかがわせるものも発見できます。
ま、どこまで史実に則っているのかは不明ですが、そんな事を連想するのもまた楽しいです。
木遣り太鼓のセリフに「これは〜いせ〜え〜」がありますが、伊勢参りのことなのか、
この辺もよくわかりません。