(要はヒマだったという事ですね、移動中はなんもやる事ありませんから・・・)
ふと思いついたのが太鼓のいろは。
太鼓の「い」、井の中の蛙であってはならない。
太鼓を始めたての頃、知識や情報に乏しいため今習っている事が絶対に正しい、と思いがちだったコト。
まさに井の中の蛙大海を知らず、で自分のいる世界がすべて、みたいな錯覚に陥っちゃうわけです。
2~3年経つとそこでやっと自分が見えてきたり、いろんな太鼓があるもんだなあ、と知り始めたり。
井戸から抜け出て、池の端に座って湖面を覗き込んだ時にそこに映った姿に
「あっ」といって自分がカエルだったという事に気が付いたりします。
井戸の中は結構居心地がよかったりもしますが外の世界を知ることは大事です。
それでも常に初心にカエルことも大事だと思いますケエロ・・・。
太鼓の「ろ」、論より証拠
太鼓を論ずること=知識も必要と思いますが、それを証明する実践が大事。
口達者な人もいますが体が無意識に反応するまでたゆまぬ練習を積む努力をしたいもの。
いくら頭で考えても、それが体で証明できなければ絵に描いた餅となってしまいます。
けれども、餅を絵に描けるセンスと技術も必要・・・。
太鼓の「は」、恥をかくことは恥かしい事ではない。
何事も失敗はつきもの。失敗をして恥をかいて、そこから学ぶ事ができれば御の字。
最初からできる人はそうざらにはいません。
できなくて当たり前、すんなりできたとしてもいつかは必ず壁にぶち当たる時がきます。
なるべく早い段階で恥をかくことをオススメします。
逢ふで鼓論=オーデコロンと命名したこのコーナー、
奇しくも太鼓のいろはを述べさせていただきました。
いろはにほへとちりぬるを・色は匂えど散りぬるを・・・かぐわしき匂いをお届けできたでしょうか。