HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

旧統一教会

見解が 統一される 政治かな

 

アベ射殺の結果、日の目を見た旧統一教会と政治家のただならぬ関係。

長年自民党の頂点に立っていた人物が旧統一教会と因縁があった事が明るみに。

自民党は党として旧統一教会に関わってはいなかった、あくまでも議員個人の問題と火消しに躍起になっている様でありますなあ。

 

統一教会の実態を紹介する報道も活発化、しかしなんで今更という感も。

統一教会に関する被害は旧統一教会に汚染された政治が意識的に問題を放置してきたと考える方が自然かもです。

 

それにしても旧統一教会の2世たちによる告白は聞いていて気分が悪くなります。

一言で言えば信徒は狂信者の様相を呈しています。

信教の自由は憲法で保障されているので何を信じても構わない事になっていますが、その教義も酷いもののようです。

神はこの世界を作りあらゆる生き物も作った。最後に自分のカタチを模した人間を作った。まず男のアダムをその後アダムのあばら骨から女のイブを作った。

 

エデンの園の禁断の果実であるリンゴを邪悪な蛇にそそのかされてイヴとアダムは食べてしまった。そこから人間は罪を負うことになると。

しかし、リンゴは己を自覚する智恵の実であったとも言えるでしょう。むしろ神に隷属する立場から自由を得て解放されたと考えるとどこに罪があるのでしょう。

 

ここで人をそそのかす邪悪な蛇は旧統一教会に重なって見えます。

 

統一教会の発祥の地、韓国はアダム、かつて植民地支配をした日本はイブで日本は韓国に贖罪をしないといけない、という教義があるそうです。

カネで贖え、という事で法外な献金を要請されるわけです。

そうして集められた莫大な資金は韓国の聖地天正宮造営に費やされているとの事。

 

宗教はえてしてその豪奢な建物で信者に心理的影響を与えます。

かつて創価学会の総本山を学生仲間と見に行った時、世界一太い柱との銘板がありました。信者は感激するんでしょうが、それがどしたの?信仰と何の関係があるん?と皆でシラケた事を覚えています。

 

一度入信すると洗脳され、その価値観が絶対になるので環俗は至難の業になるようです。

自分達の都合で見て見ぬふりをしてきた政治の罪はとても重いかもデス。