勅諭は天皇が諭(さと)したもの。勅使、勅語、勅書、など天皇みずからの行いを勅〇と言うようです。
軍人勅諭は軍の統帥権を持つ明治天皇が、軍人はかくあるべし、と諭したもの。
明治時代に国の軍隊として新たに整備された帝国陸海軍、その精神的支柱を確立するために起草されたもののようです。
一から五まであり、その後の軍隊のあり方をよくも悪くも規定するものとなりました。
ちなみに軍人勅諭は教育勅語とともに1948年(昭和23年)に国会で廃止が決定しています。
さて、その軍人勅諭、内容は。
前文
天皇の軍隊であるお前たちは以下の言葉を肝に銘じなさい。
一、忠節
世論に惑わされてはならない。政治に関わる事はせず、忠節を守る事を本分とする。
義務は山よりも重く、死は羽毛より軽いと覚悟すべし。これに反して汚名を受けることがないよう心がけよ。
二、礼儀
上級者の命令はすなわち天皇の命令と心得よ。同時に上級者は下級者に対しても礼儀を重んじるべし。礼儀を守らない事は軍や国家への罪である。
三、武勇
武勇者であるべき軍人は温厚を旨とし、決して山犬やオオカミのように思われる振る舞いはしてはならない。
四、信義
信は言ったことを実行すること、義は務めを果たすことを言うが、信義を尽くす前にはその良し悪しを十分熟考すること。つまらない義理立てや面子にこだわるべきではない。
五、質素
ゼイタクハテキダ。イマシメヨ。
後文
この五か条は軍人の精神である。軍人たるもの、この精神をよく守り国に尽くせば国民も皆喜ぶ事であろう。
と、軍人勅諭の内容をとてつもなく要約してみました。
当時、西南戦争や竹橋事件(軍人の蜂起)など軍隊の統率をはかる必要がある事から、軍隊の精神の拠り所を示すものとして勅諭のカタチで発布されました。
何事も指針が示されないと集団は烏合の衆になりかねません。
軍事力こそ国の根幹という時代なので、明治政府も必死だったに違いありません。
しかしながら日本の軍隊の実情と比べてこの勅諭は実践されていたのでしょうか、とても疑問を感じます。
軍事政権の誕生、軍隊内のリンチ、沖縄での日本軍の振る舞い、無謀なインパール作戦、政商との癒着、などなど、大御心(天皇の意志)に反する行為のオンパレードではないのか・・・。
軍人勅諭や教育勅語を懐かしむ風潮もあり、時の総理大臣夫人が教育勅語を絶賛したりしましたが、時代錯誤。軍人勅語を一般論として世に広めようという意見もありますが、あくまでも軍人用の限定版を一般論に解釈を広げようとするのは無理があります。
人の命は羽毛より軽い、という思想は一般論にはなれ得ませんよって。