大学で建築を学んでいる時、合理的な近代建築精神がよしとされていました。
巷にある木造建築を石造に見せかけたり、機能的ではない装飾を取り付けるのは「悪」としてみなされる傾向があったように思います。
シンプルで無表情なガラスの建築や、コンクリート打ち放しの灰色の建築が「美的」とされもてはやされていました。
しかしながら、レトロな建築に取り付けられた機能的でない飾りや文様の類には、人々の気持ちをやわらげ、どこかほっとするもの、何もない無機的な空間ではなく有機的な空間がそこにあるように思います。
無地の服と模様のある布の服の違いみたいなものでしょうか。
人の世界には流行があるので絶対というものもないようです。
無機的なものの次には有機的なものが流行ったり、大きなうねりを伴って繰り返しているようにも思えます。
私はどちらかというと機能的ではないけれど味がある古いものが好きで、車でいうとマニュアル志向でしょうか。
でも大渋滞にはまったら頻繁にクラッチを踏む左足がつるような気も致します。
便利な世の中は人を退化させるように思います。