仏教は元々は宗教ではなく、生きるための哲学ではないかと思っています。
私は宗教としての仏教ではなく、文字通り仏陀の教えにとても興味があります。
仏陀が人々に説いた言葉が記憶され、記録されたものが後に仏典となり、後世の人の手で経典へと整備されて行ったものと。
後世の人はそれぞれの解釈を行い、そこに宗派が生まれます。
日本にも仏教は伝えられ、教科書などでは西暦538年とされていますがそれ以前に散発的に流入していたと考えるのが自然かもです。
仏教についての概要はウィキペディアがとても参考になります。
それによると、今のネパールで生まれた仏教は北方に伝わる北伝仏教と、南方に伝わる南伝仏教に大きく分かれ、北伝仏教は東へ東へと伝えられ、当時のアジアの最大の文化国家、中国にて仏典の漢訳と解釈が行われてそれが日本にも伝えられた。
漢字、漢語は当時アジア世界の共通語で最高の文化的意義を持つものであったため、漢字で書かれた仏教経典はそれだけでも価値があり尊ばれたものと思われます。
当初は為政者により国を治めるためにも利用された仏教、奈良時代には全国に国分寺が建立され、武蔵野ではJRの駅名に国分寺の名が残されています。平安時代になると末法思想の流行とともに支配階級から貴族の信仰へ。鎌倉時代にはさまざまな宗派が生まれると同時に一般庶民に広まって行きました。
さて、そう考えると日本の仏教は日本独自に発展したもの、開祖の数だけ仏教がある。
最近よく耳にする納骨堂の募集要項に、宗派を問わず、というものがありますが、
逆に言うと宗派ってそんなに気にするものなんでしょうかねえ。
日本の仏教は北伝仏教で、それに開祖の解釈がなされて宗派となっています。
調べてみると、南伝仏教の経典とされている法句経(ほっくきょう)=ダンマパダというものが伝えられており、仏陀の言葉が26編からなる詩(喝)の形で書かれているものだそうです。これも釈迦(仏陀)の没後、それなりの時間がたってから編纂されているようですが、パーリ語(西インドの言語)で書かれた最古の仏典とされています。
私ならそちらに興味を示しますが、日本では南伝仏教は小乗仏教と言われ、それに対する大乗仏教の北伝仏教を格上とみる風潮があったようで、法句経はあまり着目されなかった。なにせ当時最先端の文化国家の中国経由のものをもてはやすのは致し方ないのかも知れません。
そんなこんなでこの法句経に興味を抱いておる今日この頃ではあります。