御伽草子の中に収められている猫の草子、禅問答のような内容に創作の興味は尽きません。
話の内容は、お上の御達しで猫は放し飼いにすべし、という御触れが出され猫が世に放たれた事に
端を発しています。
これは史実に基づいているようで、ネズミの被害が拡大したため、それまで繋がれて飼われていた猫が
そのくびきを解かれ自由に歩き回ってネズミを捕るようになったんだとか。
猫やネズミが僧侶の夢に現れ、お互いの立場を訴えるという内容となっています。
僧侶の夢の中で、ネズミは家族や仲間が猫に食われるのを何とかして欲しいと切実な訴えを、
猫は唐天竺の虎を祖先に持つため、人間にはわからない梵語で喋り
猫はネズミを捕らえるのが猫の性であるから仕方がにゃい、と。
最後はネズミが堪りかね、捨て台詞を残して集団疎開してしまうという物語となっています。
さて、新猫の草子は・・・。
空前の猫ブームの今、猫の悩みは尽きないようで。
猫のねうが高僧の夢に現れ語るところに寄れば、巷では贅沢なキャットフードが出回り、
仲間の口は奢り、肥満、糖尿病やら腎不全やら体の不調を訴えるものの数が猫なのにうなぎ登り、
貴僧の法力で何とかしてくれまいかと。
一方、ネズミの悩みは猫の口が奢り、仲間のネズミには見向きもしなくなり平和にはなったが
ネズミ算式に仲間の数が増えに増え、ネズミなのに人口過密で棲家や食べ物に困るようになったと。
貴僧の法力でこれに歯止めをかけていただけないか、との訴えです。
猫鼠双方から高額なお布施も届き、それならばと高僧はいよいよ護摩を焚き、
七日と七晩、呪文を唱えながら仏教の秘儀を行いました。
その甲斐あって、八日目の朝、猫達は一斉にネズミをくわえて飼い主の目の前に現れたのです。
飼い主は一様に目を丸くして腰を抜かしてしまいましたが、
それが続くとさすがに今まで猫可愛がりにしていた態度が一変、
こんな子はうちに置いておけませんっ!と猫たちは家を追い出されてしまいました。
ネズミはネズミで、親類や肉親が食肉となっている惨状を目の当たりにしてショックを受けました。
猫もネズミも困り果て、高僧に元に戻して欲しいと懇願し、やっとの事で元通りに。
それ以来、ネズミは人目を避けて隠れ棲み、猫はキャットフード生活に甘んじるようになったんだと。
トッペンパラリン。