HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

日本道中:三宿神社

地元世田谷散策シリーズが続きます。
今回は三宿神社。
烏山緑道を行くと三宿神社の鎮守の森が見えて来ます。
この白い建物の手前が烏山緑道。
右:至池尻 左:至三軒茶屋
この近くにはこの地の歴史の名前を冠した多聞小学校があります


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三宿神社の前身は世田谷村勝国寺の末寺、清水山天王院多聞寺というお寺だったとか。
江戸末期には廃寺となり、明治新政府国家神道政策と三宿村に神社がなかったことから
三宿神社として生まれ変わった(変えさせられた)とのこと。
神社としての歴史そのものは浅いという事になります。

旧多聞寺の本尊は毘沙門天多聞天)、
三宿神社登録時に明治政府によりそれを大物主神(オオモノヌシノミコト)に
強制的に変更されたそうです。
現在の御祭神は倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)となっているそうですが、
元々毘沙門様として親しまれていたとの事から後に毘沙門天の標柱が建てられています。


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多聞寺の頃にもあったと江戸時代の新編武蔵国風土記に記されている稲荷社は
三宿神社になった今も存続しています。
境内は山の斜面にあり、鎮守の森の紅葉黄葉がひときわ映えています。

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6月頃の画像があったので載せておきます。
こうしてみると日本の四季の移り変わり、美しいと思います。
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神社の右側には多聞小の前を通り淡島へ抜ける切り通しがありますが、
それが出来る前は神社の境内が通り道となっていたそうです。

今は廃道となっていますが当時の面影も少し残っていたりします。

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このモミジは少々色褪せた感があり残念。

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左の神楽殿は空襲にも焼け残ったもの。
また大神輿は浅草の神輿店にオーダーしたもので
納品を待ちきれずに自分たちで取りに行った事で関東大震災を免れたといいます。
そういう意味では厄災に強い神社なのかも知れません。

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三宿神社は無人のため祭祀は松陰神社から宮司を招いて執り行われているそうです。

地元の小さな神社仏閣にも多様な歴史が秘められているものですね~。
地理的散策と歴史探訪、知れば知る程面白いです。