HAPPYの非日常茶飯事な日々

日々の川柳や和太鼓などについて語ってまいります。

日本道中:〆切地蔵

江戸時代、渋谷から大山詣へと向かう道は今の国道246号線、玉川通りですが

渋谷大坂上の神泉の交差点から淡島通りを経て三軒茶屋に至る道もあったようです。

その淡島通りに鎮座する駒場地蔵尊、愛称〆切地蔵があります。

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「コノ地蔵ハ、駒場、下代田、池尻ノ、境ニアル仏デアリマス。昔ノ人ノ伝エ聞ク話ニ依ルト、明治初年以前、西駒場地蔵(一名〆切地蔵)ト申サレ、隣村に悪病流行致ス時ハ、当駒場ノ村人一同、百万ベント云フ念仏ヲトナエ、地蔵尊ニ願ヲ掛ケ、当時ニハ一名ノ病人モ無ク、安心シテ生活シテコラレタノ由。悪病悪魔〆切ト云フノデ〆切地蔵ト申サレ、今デモ重病人ノ在ル方ハ、〆切地蔵ニ一週リ(現今ノ一週間)、モシ一週リニテ御利益ナキ時ハ、二週リ御願申セバ必ズ快方ニ向フトノ伝説デ御座リマス。又此ノ地蔵ニ『イタズラ』又賽銭ヲ取ルマタハ不心得ノ者ハ、一ヶ月以内ニ必ズ災難ニアフトノ事、又他何事ノ願デモ必ズ誠心誠意ノ方ニ成就スル事『ウタガイナシ』」
と板切れに縁起が筆でしたためてあります。

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江戸は延宝(1673)の頃のものとされているようですが、
延宝というと徳川綱吉が将軍の頃、
恐らくその頃は民家も少なく、ひなびた道だったのではないでしょうか。

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地蔵は三体ありますが、300年以上の刻は顔立ちもわからないくらい
「石」に戻りつつあります。

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それでもよく手入れされていて、
賽銭ドロボーに対する注意書きがやけに目立ちます。

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縁起にも賽銭を取るものに対し必ず災難があると書いてあったり、
昔から賽銭ドロボーは名物だった可能性が・・・。

昨今は各地の神仏像が盗まれちゃう被害もよく聞きます。
金のためなら神も仏もあるものか、
人の浅ましさが露骨になったような気がします。

胸の前で手をあわせるどころか
手が後ろに回っちゃう人が増えたのでしょうか・・・。