具体的にはタンタカとタンタカタンタンのフレーズです。
本日も湯船に浸かりながら膝を打ってみました。
前回に比べるとかなりスムースに打てるようになっている自分を発見。
これもやはり馴れと回数やるしかないというのを再認識いたしました。
そんな孤独な練習をしながら考えた事、
たとえば手の動きがぎこちなくても伝えたいという強烈な気持ちがあれば何か伝わるのでは?
たとえば海外に行ってショッピングをする時、ことばが通じなくても気持ちは伝えられる?
身振り手振り、相手が日本語がわからなくてもその日本語で本気で話す。
「これ、ほんまに高いわ、もっとまけてえなあ、頼むわ」・・・
なぜか大阪弁ですが、この方がなぜか伝わりますねん。
要は本気で気持ちを込めているかどうか、です。
太鼓の表現も同じで、伝えたいものをきちんと理解してそれを気持ちで表そうとしているか、
その気持ちがあればとりあえず熱意は伝わるのではないのでしょうか。
でも、今のこの左手ではそれも無理なのかも知れません。
気持ちを表現するのには表現ができる最低限の技術もまた必要なのではないのだろうか?
気持ちが大事なのは当然として、技術もまた大事。
どちらが欠けても人に伝わらなくなっちゃうように思えます。
海外ではほんの片言でもその国の言葉が使えるとそれだけで気持ちがぐっと近くなります。
ことばは技術、それを磨くのも大事と思います。